マイペンライでゴー
第25号

藤井輝雄
かしはらまこと
かしはらまこと
夏実

ほとんど季刊化してきた「マイペンライ」ですが、今号は新しいライターが増えましたぁっ!!さあ区切りのいい25号です。ぜひぜひ読んで感想をBBSにでも書き込んで
感想なんかはどんどんくれたら、嬉しいです。↓↓
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『てるおのピカピカ☆ピカデリー』

▼藤井輝雄


このコーナーでは、映画の中に必ず出てくる自動車に焦点を当てて深く分析解明して紹介していきます。

今回お勧めする映画は、2001年アメリカ映画、ゲームセンターのカーレースを映画にしたような超興奮のストリート.カーアクション。「ワイルド.スピード」。
監督は、かなりの車好き ロブ.コーエン。物語の舞台は、ロサンゼルス。公道レース で金と命を賭ける主人公ドミニク (ヴィン・ディーゼル)と連続トラック・ジャック 事件を追う潜入捜査官ブライアン(ポール・ウォーカー)の二人の友情を描いている。
なかでも、ウ゛ィン・ディーゼルという役者がすごいんです。
今秋(10月全国一斉公開)公開されるアメリカ映画トリプルXの主役に抜擢され全米で大ヒットし2千万ドル・スターの仲間入り(メル・ギブソン ブルース・ウィリス トム・クルーズ等)アメリカン・ドリームを手に入れた今一番ホットな男。7歳で舞台デビュー、1994年に自分自身が監督した短編映画があのスティーブン・スピルバーグに認められ「プライベート・ライアン」に出演。『ワイルド・スピード』で人気を不動のものにした。
そしてこの『ワイルド・スピード』のもうひとつの主演は、もう出てくる出てくる大改造車達。
まず紹介するのが、黄色の[NISSAN・SKYLINE・GT-R(通称 R-33)] 1995年1月6日に登場。
エンジンは、名機と呼ばれるRB26DETT型・ブレーキは全車にブレンボ製を装着・車両コントロール性強化のために日産独自のアテーサ・ET-S・PROを採用。徹底的に走る楽しさの味付けにしている。すごいっ! そしてブライアンが乗るオレンジ色のTOYOTA・SUPRA RZ このマシンも映画の中では、ひときわ目立つ存在で、ニトロを
爆発させて疾走する姿は圧巻でーす。このマシンは、1993年5月に登場。エンジンは、トヨタの自信作・2JZ−GTE型。改良に改良を重ねて、全日本GT選手権で見事チャンピオンに輝いた。特色としては、トランスミッションがトヨタとゲトラグ社との共同開発で誕生した当時国内初の6MT採用。[TOYOTA SUPRA RZ]は、全長4250mm・全幅1810mm・全高1275mm・車重1510kg・排気量3000cc・最大出力280ps/5600rpm・最大トルク46kgm/3600rpm・駆動方式 後輪駆動となっている。
その他にも赤色のRX-7・黒色のHONDA S2000等 本当にたくさん出演してるよ!!
しかも日本では、絶対売れそうにないハデハデカラーリングに改造しまくりで殆ど原型のわからない車まで…。
さらに今回一番観て欲しい車は、映画の後半で登場するスープラと対決する900馬力の黒色モンスターマシン正式名はDODGE・CHALLENGER。このモンスターマシンは、1972年型・全長4859mm・全高1313mm・全幅1933mm・車重1856kg 重いなぁ!総排気量6900cc燃費悪そう!
エンジン形式V型8気筒・駆動方式後輪駆動となっており、全てがビック・アメリカンサイズで、しかもこの車は、ボンネットにヘミヘッドと呼ばれるパワーバルジが装着されている渋い渋い名車なのだ!!
ドミニク(ヴィン・ディーゼル)の強奪軍団もめちゃめちゃ渋いけど、僕は、やっぱり『ワイルド・スピード』は黒のCHALLENGERがとてもとても渋いウォー!?公道をスープラと並走バトルは、ぜひ何回も何回も必見!!なのだ!そしてラストにあの車が…?あとは、DVDかVTRで…
psアジアテイストたっぷりでヒロインのヌードもあったかなぁ?
終了

【藤井輝雄:ふじいてるお】漫才コンビしましまんずのボケ担当。映画と車に造詣が深いとかなんとか・・・・。


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かしはらまことの『BOOBOO♪』

▼かしはら まこと

Vol−1「僕のクルマ遍歴(前編)」

えーと、最近メールマガジンがじぇんじぇん活発化しとらんという編集長マスダの苦悩を見るにつけ、私、ハッキリ言って「F1」を書くのを忘れておりました。
なぜ忘れてたのかと言うと、最近フェラーリがバカ勝ちしてあまり面白くないから。
まぁ言ってみれば我が阪神タイガースに気のいい関西財界人がポーンとカネ出して、現役バリバリの大リーガーを連れてきたら、勝って勝って勝ちまくって、まるでいつぞやのマリナーズみたいな状態になった感じです。(どんなんやねん)

早い話が、強すぎてオモロないとこういうワケ。で、次は何のネタがいいかなあと考えていたのだが、やはり私・かしはらと言えば「自動車」であろうと思い、私のワガママ勝手なクルマ道を書いていこうと思っています。ですから専門用語もいっぱい出てきます。
けど、そんなもんにイチイチ説明はつけません。ワカラン人はほっときますよの精神で書いてゆくつもりです。(^^)

僕が免許を取ったのは1981年3月20日。そう、大学入学の前です。18歳と1ヶ月で普通免許を取得し、以来クルマに乗らない日のほうが少ないのではないでしょうか。
最初に買ったクルマは1975年型のスカイラインGTXでした。
シルバーメタリックで走行50000kmのものを65万で買いました。
で、このスカイライン、まぁ走らない。(笑)
エアコンが効かない。ハンドルが重い。と大変なヤツでした。結局、65万のローンがバイトとクラブの生活で払えなくなり、半年でサヨウナラとなりました。思えば免許取り立ての僕にとってはケンメリは手に余ったのだと思います。故障や事故で修理代ばかり出て行きました。いい教訓になったクルマです。

次は1983年の秋に48年式のホンダZを手に入れました。
クラブの先輩からラジアルタイヤ付きで6万円で買ったクルマです。
ケンメリには悪いけど、コイツからが僕にとって本当のカーライフのスタートでした。
たった360ccの軽自動車で、あちこちがくたびれていたけど、当時流行したパイオニアの「ロンサム・カーボーイ」を24回払いで買って、スピーカーは先輩からタダでもらったヤツをステーで吊るしました。
「水中メガネ」と呼ばれた独特のスタイルは、そんなにスピードは出なくても僕の相棒でした。当時祇園の会員制スナックでバーテンのアルバイトをしてたから、よく白川通に路上駐車したなぁ。小さいボディなんで、縦列駐車がラクだったのです。
冬になるとチェーンを巻いて、当時日ノ岡に住んでたチーママをよく送っていって、お小遣いもらってました(笑)

コイツは当然クーラーなんか付いてません。だからいつも窓全開でした。夏はシートカバー代わりに被せたトレーナーが塩ふいてましたっけ・・・。
でも、MOMOに似たステアリングにミツバの電子ホーン、大枚はたいて買ったシビエのヘッドランプと、色々と手を加えました。

とにかく一番思い出の詰まったクルマでした。クラブの後輩たちを乗せて、よく京都の街をドライブしましたね。4人乗ってもさすがホンダのエンジンです。
2気筒のクセに上はビュンビュンまわります。燃費も良いし、学生には本当に使えるヤツでした。

4回生になって実家に戻るころ、Zは僕の高校時代の同級生で、現バンドのリーダーである深川君に5万円で売りました。6万で買って5万で売るとはなんちゅう奴やと言われましたが、結構コンディションは良かったのです。 で、僕は先輩の知り合いの業者さんからL40Vミラの限定車を買いました。
「ライブミニS」という、アルミホイル付きのヤツです。でもストライプの入った4速ミッション車でした。5速車はターボかカタログモデルのSタイプしかなかったのです。
4ナンバーの貨物車ですが、当時「47万円アルト」が大流行した時代です。
といっても軽は中古でも相場が高く、45万円ほどで買いました。ですから当然、クーラー付きです。それだけでも僕にとっては大進歩でした。
そうそう、同級生の小川君はこの時アルトに乗ってたな。この頃のアルトは2サイクルだから、軽のクセにめっちゃ早かった。中国縦貫で白煙と共にブチ抜かれた思い出があります。

このクルマは就職してからもしばらく乗っていました。そういえばスピード違反で最初にキップ切られたのもコイツです。
そしてこのミラで「ユーザー車検」に挑戦しました。理由は簡単。当時まだ学生でビンボーだったのと、興味本位です(笑)。
ヘッドライトの光軸調整ぐらいの軽い整備で車検はパスしました。貨物車だったので「最大積載量」の表示がないとダメなのだそうです。係官にその事を言われたので、紙に「最大積載量200kg」と書いて、窓に張ったらOKでした。(おいおい・・)

てなワケで、僕はホンダZ以来3台の軽自動車を乗り継ぐことになります。今でも軽を見るとなんとなく乗りたくなりますね。決してチープな乗り物ではなく、小さなボディな故に様々な叡知が詰め込まれたモノだと思います。

さて、次回はついにスピードに目覚めるキッカケとなったミラターボの登場です。


【かしはら まこと:柏原  誠】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。


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かしはらまことの『BOOBOO♪』

▼かしはら まこと

Vol−2 「僕のクルマ遍歴(中編)」

さて、今回はL40Vミラから初めて新車で買ったL70Vミラターボからスタート。
就職して半年が過ぎ、いくらかの余裕も出たので次はパワーのあるクルマを・・と思っていました。でも5ナンバーはまだまだ買えない・・というより欲しいクルマが無かったというのも事実。で、近くのモーター屋さんに行って、出たばかりのミラターボをオーダーしました。ミラはアフターパーツが豊富で、買ったらすぐにエアロパーツとか付けてドレスアップしようと思ってたのですが・・

ちょうど本屋さんに立ち寄った時の事です。3日ほど前にオーダーしたミラターボに車種追加の記事・・・それは後に大ヒットする「TR−XX」の登場でした。
フルエアロパーツ、特別仕立ての内装、シート・ステアリングはもちろん、メーターまわりまで全部スペシャルです。その雑誌を買ってすぐにダイハツに電話。まだ値段が決まってないという時に急遽オーダー変更してもらいました。当時のセールスマンの方がダイハツ本社からの出向で、メーカーにかけあってくれたのです。

納車日は少し遅くなったけど、ホワイトのTR−XXはなんと前のミラのナンバーと1番違い(40Vミラは77−28、XXは77−29でした!)で我が家にやってきました。ノーマルのミラターボより低い排気音がホンマに嬉しかったです。

このミラは結局4年ほど乗りましたが、とにかく速かった!グロスで52馬力という、今でこそ普通の軽のパワーと変わらなかったのですが、当時のターボはとにかく「どっかんターボ」。2000あたりから急激にトルクが出ます。トルクステアなんか当たり前。ハンドルしっかり握っとかないと、どこに行くかわかりません。
ホンマに楽しいクルマでした。
でも、このXXとは悲しい別れ方になりました。京都でひとり暮らしを始めたある日、ガレージに置いていたミラはなんと盗難に遭ってしまったのです。結局1ヶ月後シリンダープロックを割られて滋賀県で発見されました。ホンマに悲しかったなぁ・・・。

ミラを手放して暫くはひとり暮らしのせいもあって、半年ほどクルマに乗らない日々でした。まあ仕事も忙しく、あちこち乗ってゆくヒマもなかったから好都合でした。
なんとなく・・というかクルマに乗りたいな・・と思った頃、当時鉄仮面のRSターボに乗っていた後輩の藤原君に紹介してもらって、古い4WDのレオーネを買いました。

コイツは残念ながらあまり良い思い出はありません。言うならば絶不調の時代のスバル車です。燃費は悪い。重い。走らないの3拍子。まあノリで買ったヤツですから、それほどの期待はしなかったですけど・・。

でもこのレオーネで東京まで走りました。姉の家に遊びに行って、それから四国へ行ったかなあ。初のAT車でもありました。今でこそインプレッサやレガシイの水辺対抗は良い音で回りますが当時のレオーネの「バリバリバリ・・」という音は、どうも嫌でしたね。

さて、レオーネの次はラリーでも活躍した4WDターボ「ギャランVR−4」に乗ることになります。実はギャラン購入に至ったキッカケはこのレオーネにあるのです。
僕のレオーネはワゴン車でした。当時会社にはもうひとりレオーネ乗りがいました。
その人はラリーをやってた先輩で、僕にラリー用のサスペンションを譲ってくれたのです。その事がキッカケで色々とクルマの事を教えてもらうようになりました。ドライビングテクニックを強く意識したのはこの頃です。そしてターマックラリーに憧れるような気持ちでギャランを買いました。

もうひとつ余談ですが、ギャランの納車翌日、先輩に乗ってもらいました。現状渡しのクルマだったのでクラッチがヘタっていたのです。先輩が運転しながら「うん・・ヘタってるわ・・でも、よう走るなあ・・」なんて言います。結構気に入ってくれたようです。後日その先輩が僕の机にきて「かしはら君。僕も買うてん。」と言います。そう。先輩は新車でギャランVR−4を殆ど衝動買いで買っちゃったのです。しかもラリーベース車の「RS」です。
足回りはラリーアートという、三菱ワークスのパーツで重装備。そしてクラッチも強化されていました。(ということで古いクラッチは僕がもらいました。ああラッキー)このクルマに乗せてもらって、鈴鹿峠の下りで120km/h出された時は、ちょっと覚悟しました。4WDがズルズル滑ってるのですから・・

僕のVR−4は初期型の205馬力。でもよく走りました。ミラターボ以来のターボ車ですが、4WDの強さが随所に光りました。スキーにもよく行きましたし、営業で滋賀県に行くときは営業車じゃなく、自分のクルマで行きました。そのほうが安全だったからです。このクルマはエンジン以外は手を入れました。ショックはラリーアートのジム カーナ用に始まり、最後はカヤバの4段調整式、スプリングも2回交換しました。
ショートストロークシフトとか、タワーバーとか、本当に面白いクルマでした。三菱ワークスと同じ位置にスリーダイヤを入れて、ビュンビュン走ってましたっけ・・・。

結局ギャランには5年乗りました。これまでの車歴で一番長かったのが、このギャランVR−4です。手放したのは、あまりにも速すぎたとでも言えば良いでしょうか。ターボ車のあの独特の加速感がどうもついていけなくなったのです。

さて次回はモータースポーツ野郎の突然の変化、ステップワゴン乗り換えと、ついにガイシャの道へ至る後編!


【かしはら まこと:柏原  誠】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。

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『Capricious Wind 8』

▼夏実

White Butterfly

白き蝶が秋の風に身を任せるように飛んでいた。
二匹はもつれるように……
また離れては……もつれるように……
まるでその白い羽根は
風景に透けてしまうかと思える程に白く、神々しかった。

頼り無気なその風情が
命の燃焼をより鮮明に伝えてくる
命の輝きが
その白く透明な舞いに宿る

愛していると
囁いてでもいるのか
それとも……


青く限り無く……高くなっていく空。
木々には実りの時期が訪れ
葉には秋が紅をさす。
色鮮やかに、
艶やかに。

そんな中で無色透明の想いが空を舞う。
今にも消えてしまいそうな命
それを
無意識につなぎ止めようと。

もつれ合い
ほどけ合って
また、もつれ合う。

ただひたすらに……
その二匹、命の限りを使い果たすまで。

 
【夏実:なつみ】大阪出身。ryu_mama♪のHNでHP『Ryu's Cafe』を開設。現在は1男の母。



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■編集後記
暑いなぁ!毎年のことながら、「暑いんじゃぁ!!」と叫びたい気分である・・・・・・・・・・とかなんとかを先号で
ほざいていたら、もう寒くなってきました・・・・・。布団が恋しくなりつつある今日この頃です。夕方に散歩をしようと
思ってもなんだか寒くてやめたりして。もっともっと寒くなってくるんでしょうが、この前まで暑かったのに・・・という
思いもあってか、なんだか妙に寒く感じます。しかし・・・マイペンライのUPの間隔が空くせいで、暑いとか寒いとか
ばかり書いてたらアカンね。(反省)

■原稿執筆者募集!
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「マイペンライでGO!」では、原稿を書いて下さる方を募集します。老若男女、国籍人種
問いませんが、原稿は日本語でお願いします。お問い合せは下記編集まで!


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■次回の予告:2002年11
月中刊行予定!?■(予定は未定ということで・・・・)
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編集:柏原  誠
    増田達也
Copyright(c)1999 Ncturne Club
許可無く転載することを禁じます。

2004年4月24日 更新

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