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第21号
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『Fomura1〜大地を翔ける秒速の戦士たち〜』 |
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▼柏原 誠
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| 9月11日の悪夢から4日、イタリア・モンツァサーキットではNYで起こった同時多発テロの犠牲者に2度、黙祷が行われた。 FIAによると、グランプリウィークとなる金曜まで開催が危ぶまれていたという。そして各チームにもさまざまな影響があった。母国GPとなり、既にドライバーズ/コンストラクターズチャンピオンを決めているフェラーリは追悼の意を込めてマシンのスポンサーロゴを全て排除し、ノーズコーンを服喪の意を表して黒く塗装した。 僕の記憶では、こういう装備のマシンは初めてである。セナが亡くなった次のGPで所属チームのウィリアムズが黒い喪章を貼ったマシンがあったが、スポンサーロゴを全て排除したのは恐らく初めてだと思う。特有のスポンサーロゴの無い、真っ赤なマシンがコースを走る映像は、まるでテスト走行のようである。 実は今回、シューマッハの強さを書こうとしたのだが、11日の事件も含め、様々な出来事があったので書いておきたい。 で、Round15イタリアGPの結果はというと・・・ なんじゃかんじゃ言うてるウチに最終戦の鈴鹿GPである。 前回のイタリアGP以降で変わった事と言えば(というか鈴鹿GPで分かったことだが)、あのジャン・アレジの電撃引退だろうか。ジャン・アレジといえばご存知「ゴクミ」後藤久美子のダンナ、夫、亭主である。 イタリア・シシリー島出身のドライバー、今は無きティレル(かのケン・ティレル御大も先日鬼籍に入られたが・・)でデビューし、アメリカGPでマクラーレン・ホンダ時代のアイルトン・セナをサイド・バイ・サイドからブチ抜いた人である。 以後フェラーリに移籍し、今はBMWのテクニカル・アドバイザーとなったゲルハルト・ベルガーと共にひとつの時代を築き、「過渡期の駄作」と酷された412T1Bを駆ってカナダGPで初優勝したのが、闘将ジャン・アレジである。 そしてもうひとつは、シューマッハのF3時代からのライバルであったミカ・ハッキネンの休養(引退ではなく、1年間の休養らしい。)である。 去る人もあれば、来る人もあるということで、アレジ無き後のジョーダンのシートには、高木虎之助以来の日本人ドライバー、佐藤琢磨がついにテビューする。イギリスF3初の日本人チャンプで、最初からF1で走ることを目標に置いてレースを走ってきた人だ。 フランス人のジャンがプロストGPというフランスのチームでレースキャリアを終わるのではなく、ジョーダン・ホンダという日本のパワーが入ったチーム(まぁ、嫁さん日本人やからねぇ)で終わり、後進を日本人に託すというのも、何か因縁めいた気がしてならない。 そしてそしてそしてーぇぇぇぇっ! そんなこんなで21世紀初のF1は幕を閉じた。詳しくは次回に書く事にしようと思っている。しかしジャンの引退は惜しい。彼のアグレッシヴな走りと不利な状況でも決してあきらめなかった姿勢が「青い眼のサムライ」と異名を取った所以だと思うが、37歳・現役最年長にして最も完走率の高いレーシングドライバーであることも強調しておきたい。実は僕はフェラーリ時代からジャン・アレジを応援していたので、思い入れもひときわなのである(何せ1歳しか違わないからね)。TV中継では「また近いうちに再開することになるよ」と言っていた。僕は個人的にはフェラーリのスタッフとしてF1サーカスに留まってほしいと思っている。 さぁ、次回以降はF1ストーブリーグだぁっ! 【柏原 誠:かしはら まこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。 |
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『夕焼けイノキスト・宮脇まさはるのプロレス郷愁の風景』 |
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▼宮脇まさはる
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愛の鉄拳、ナックルパート物語
おじいちゃんおばあちゃん達が、声をあげて喜ぶプロレスが姿を消してから、もうかなりの年月が経つ。 【宮脇 正治:みやわき まさはる】1960年、大阪生まれ。佛教大学時代は放送局設立準備会とプロレス研究会に所属。 近頃、夕焼けイノキストとして生きる決意を、ますます新たにしている。 |
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『Capricious Wind』 |
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▼夏実
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〜 Vol.1『風流花譚』とともに。〜
『風流花譚』の連載を始めて1年が過ぎようとしている。 人は、確実に『死』に向かって生きて行くけれど。 人は命のかけらを一つ一つ失うのを引きかえに、生きている。 そして…1年を節目に『風流花譚』を『Capricious Wind』にタイトル
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『中年ロッカーの逆襲』 |
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▼Kei
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| 再び拾得でライブをやることになった。前回の涙の(?)ライブから2年3ヶ月ぶりだ。バンドとしては1月2日以来である。別に拾得でなくてもいいのだが、昔のよしみでつい拾得に足が向かう。考えてみれば和歌山から京都に行くというのはなかなか大層で、平日にライブをするとなると、2日も休みを取らなければならなくなる。リハーサルは3時ごろだから、昼前に和歌山を出る。ライブを終えるのが9時過ぎで、それから打ち上げをやらなければならない(?)ので、その日のうちには帰れない。泊まるしかなくなるというわけだ。これを読まれている皆さん、そこまでして京都にやってくる中年ロッカーに愛の手を!などと同情をさそってどうするのだ。 拾得は学生時代の思い出の場所である。日本のライブハウスの草分けであるのに、学生バンド・アマチュアバンドに対しての敷居の高さが無い。礫礫に出るときなんか、「客が呼べんかったらどうしよう?」ってかなり心配したもんな。(礫礫はプロとかもよく出てたから)そういう堅苦しさがなくていいんだ、拾得は。15年経っても、相変わらずの雰囲気を保っているのもいい。みなさん、もっと拾得を盛り上げよう!(と、ライブハウスに媚を売るいオジンロッカーのいやらしさである) けれど、拾得でなくても別にいいのである。年に3・4回ライブに出れれば。京都までいくのは大変だから年に1回もいけない。だから、大阪あたりで(できるだけ和歌山寄りで)敷居が高くないライブハウスがあれば、だれか紹介してください。和歌山には適当な場所が無いので。 さてさて、ライブ、ライブと騒いでいたけれど、肝心の日時を書くのを忘れていた。 11月30日(金) 京都 拾得 です。みなさん、来てね。 僕たちBitter Tasteは演奏はあまりうまくないし(はっきり「下手」と書くと来てくれなくなるので、ソフトに表現しよう)、年はくってるし、ルックスはそれほどでもないし、流行からは外れまくってるけど(悪いところばっかりだ)、一生懸命演奏するのと、曲作りとアレンジは少し自信があるので、ぜひぜひ見にきてください。特に30を超えて「年かなー?」などと思い始めているアナタ!40前が二人、40代が一人という中年ロッカーのライブを見て元気になってください。 というわけで、増田君、11月最後の日は拾得で盛り上がろう!! 【Kei:本名 坂本 桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。 |
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■編集後記
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