マイペンライでゴー
第21号

柏原 誠
宮脇まさはる
夏実

中年ロッカーの逆襲

Kei

世界ではいろんな事が起きており、いったいこれからどうなるのだ?と考える・・・肌寒くなってきた今日この頃・・・そろそろ鍋の季節かな、なんて考えも頭に浮かんできます。 鍋と言えば、あなたは何が思い浮かびますか?僕は「キムチ鍋」ですね。単に去年の冬に食べる機会が多かっただけだと思いますけど・・・。あぁおでんもいいですね〜。では今号もマイペンライをどうぞご賞味あれ!

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『Fomura1〜大地を翔ける秒速の戦士たち〜』

▼柏原 誠 

9月11日の悪夢から4日、イタリア・モンツァサーキットではNYで起こった同時多発テロの犠牲者に2度、黙祷が行われた。
FIAによると、グランプリウィークとなる金曜まで開催が危ぶまれていたという。そして各チームにもさまざまな影響があった。母国GPとなり、既にドライバーズ/コンストラクターズチャンピオンを決めているフェラーリは追悼の意を込めてマシンのスポンサーロゴを全て排除し、ノーズコーンを服喪の意を表して黒く塗装した。
僕の記憶では、こういう装備のマシンは初めてである。セナが亡くなった次のGPで所属チームのウィリアムズが黒い喪章を貼ったマシンがあったが、スポンサーロゴを全て排除したのは恐らく初めてだと思う。特有のスポンサーロゴの無い、真っ赤なマシンがコースを走る映像は、まるでテスト走行のようである。

実は今回、シューマッハの強さを書こうとしたのだが、11日の事件も含め、様々な出来事があったので書いておきたい。
まず、98・99年のチャンピオン、マクラーレンのミカ・ハッキネンが来年1年間の「休養宣言」をした。つまり来年はミカは走らないという事だ。来年のマクラーレンはデビッド・クルサードと今年の超新星、ミカと同郷のキミ・ライコネンである。彼は実はフォーミュラレースの経験が少なく、F3・F3000に乗らずルーキーレースのフォーミュラ・ルノーから大抜擢でF1デビューを果たした人だ。デビュー戦ではまだ「仮ライセンス」で走り、結果は6位という、10年にひとりの逸材だと言われている。
もうひとつ、面白い話題をお届けしよう。フィレンツェンの電撃解雇以降、ドライバーのトレードが色々と下位チームにあったが、今回久々のアジア系ドライバーとしてマレーシアのアレックス・ユーンがミナルディでデビューした。彼は今昨シーズンからフォーミュラニッポンでエントリーしていたが、それを途中で卒業してのF1デビューである。いずれにせよ、久々にアジア勢がデビューしたので大いに期待したいと思う。
さて、書こうと思っていた「シューマッハの強さの秘密」であるが、事件やらニュースやらが満載でスペースが無くなってきた。申し訳ないが、次回ということでカンニンして下さい。

で、Round15イタリアGPの結果はというと・・・
1位 ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズ)初優勝
2位 ルーベンス・バリチェッロ(フェラーリ)
3位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)
4位 ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
5位 ペドロ・デ・ラ・ロサ(ジャガー)
6位 ジャック・ビルヌーヴ(BARホンダ)
なお、ポディウム(表彰台)上での恒例のシャンパン・ファィトはやはり行われなかった。
そして次回はRound16、アメリカGPである。この場を借りて事件の犠牲者となった全ての人に哀悼の意を捧げたい。




なんじゃかんじゃ言うてるウチに最終戦の鈴鹿GPである。
前回のイタリアGP以降で変わった事と言えば(というか鈴鹿GPで分かったことだが)、あのジャン・アレジの電撃引退だろうか。ジャン・アレジといえばご存知「ゴクミ」後藤久美子のダンナ、夫、亭主である。
イタリア・シシリー島出身のドライバー、今は無きティレル(かのケン・ティレル御大も先日鬼籍に入られたが・・)でデビューし、アメリカGPでマクラーレン・ホンダ時代のアイルトン・セナをサイド・バイ・サイドからブチ抜いた人である。
以後フェラーリに移籍し、今はBMWのテクニカル・アドバイザーとなったゲルハルト・ベルガーと共にひとつの時代を築き、「過渡期の駄作」と酷された412T1Bを駆ってカナダGPで初優勝したのが、闘将ジャン・アレジである。
そしてもうひとつは、シューマッハのF3時代からのライバルであったミカ・ハッキネンの休養(引退ではなく、1年間の休養らしい。)である。
去る人もあれば、来る人もあるということで、アレジ無き後のジョーダンのシートには、高木虎之助以来の日本人ドライバー、佐藤琢磨がついにテビューする。イギリスF3初の日本人チャンプで、最初からF1で走ることを目標に置いてレースを走ってきた人だ。
フランス人のジャンがプロストGPというフランスのチームでレースキャリアを終わるのではなく、ジョーダン・ホンダという日本のパワーが入ったチーム(まぁ、嫁さん日本人やからねぇ)で終わり、後進を日本人に託すというのも、何か因縁めいた気がしてならない。

そしてそしてそしてーぇぇぇぇっ!
2002年のF1にはついに「トヨタ」がデビューする。マシンの開発もかなりのペースで進んできているというから、それはそれは楽しみな事である。またトヨタは70年代にF1が開催された「富士スピードウェイ」を買収したらしい。鈴鹿の開催ライセンスが切れた後にF1の開催権を移すという話もあるそうだ。
そういや日本でF1開催は富士で2回行われているが、BARのジャック・ヴィルヌーヴのお父ちゃんであるジル・ヴィルヌーヴ駆るフェラーリF312TBが富士の1コーナーで6輪車で異名を取ったティレルP34(ドライバーは忘れちゃった。ゴメンネ。)と大クラッシュ。当時1コーナー隅に設置してあった看板に無断で上がっていた一般客を巻き込んで多重事故が起こったのである。これが原因で日本では以後10年ほどF1開催は見送られている。

そんなこんなで21世紀初のF1は幕を閉じた。詳しくは次回に書く事にしようと思っている。しかしジャンの引退は惜しい。彼のアグレッシヴな走りと不利な状況でも決してあきらめなかった姿勢が「青い眼のサムライ」と異名を取った所以だと思うが、37歳・現役最年長にして最も完走率の高いレーシングドライバーであることも強調しておきたい。実は僕はフェラーリ時代からジャン・アレジを応援していたので、思い入れもひときわなのである(何せ1歳しか違わないからね)。TV中継では「また近いうちに再開することになるよ」と言っていた。僕は個人的にはフェラーリのスタッフとしてF1サーカスに留まってほしいと思っている。

さぁ、次回以降はF1ストーブリーグだぁっ!

【柏原  誠:かしはら まこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。


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『夕焼けイノキスト・宮脇まさはるのプロレス郷愁の風景』

▼宮脇まさはる

愛の鉄拳、ナックルパート物語

 おじいちゃんおばあちゃん達が、声をあげて喜ぶプロレスが姿を消してから、もうかなりの年月が経つ。 
 「10チャンのプロレスの座長は、馬場やで」と、少年の私に教えてくれた祖父は、6チャンの中継も欠かさず見ていた。外人組が主導権を握っている前半は、いつも青い顔して画面を睨み、「アアッ! シンのアホンダラめ、またパンツから何か(凶器のこと)出っしゃがった」と、心配この上ない表情。
隣りに座る祖母も「こ、こ、この馬之助のガキ、日本人のくせに、何がために外人に付っこんねんやろ・・」と嘆き悲しむが、怒りは頂点に達している。やがて猪木がリングイン、鬼神の表情凄まじく、ナックルパートの雨あられ。八面六臂で外人組を蹴散らすと、「よっしゃー!!」とちゃぶ台を叩いて大歓声。「そうじゃ。それを先にしとかんかい」と、試合の組み立てまで指導する─。善玉VS悪玉の図式から発する、遠藤汐氏が言うところの『“溜め”と“爆発”』プロレスがまだまだ主流だった、いまから30年も前の、金曜夜8時の風景。
 だが時の移ろいは、全てを変えた。今やおじいちゃんおばあちゃんの風情からして、昔のそれではない。当然プロレスも、いつまでも勧善懲悪・怪物怪人退治的わかり易い物語をやっているわけにはいかなくなった。

 時代の流れと共に、複雑な変遷を遂げてきた、日本マット界。ここ最近は、空前の格闘技ブームによって、プロレスを含む異種格闘技同士が闘う総合格闘技イベント(大きなところでは『PRIDE』『真撃』など)が反響を呼んでおり、その闘い方のエキスをたっぷり吸収した「新プロレス」が台頭しつつある、という現況である。
 この総合格闘技(以下、総格)系の試合は、動き・闘い振りを見ると、日常の格闘=喧嘩に極めて近い。そこには“溜め”も“爆発”もないが、プロの喧嘩屋の高い技術を備えた猛者同士の、ヤルかヤラレルかという物騒なまでの緊迫感が、大きな魅力となっている。だから、日常では在り難い格闘のかたちを感動的に見せるという意味でのプロレスとは、異なる。ある総格系プロレスラーは、「プロレスは、鍛えてる所へ思い切って打つ。『PRIDE』(総格)は、相手の弱点を狙って打ち込んでいく」 と語っていた。 
 総格は、見せるという要素を一切排除した、ただ相手を倒すためだけの攻防に終始するので、観客はよほど目を凝らしていないと理解できない絡みが多く、決まり方は大抵、突然のレフェリーストップなどのあっけない幕切れで、それがまたリアル感を高めている。だから、悪者や怪物をコテンパンにやっつけて、胸がスーッとするという感情移入型プロレスの感覚とは、趣が違う。最低限のルールは敷いているものの、まさに格闘の原点、古代コロッセウムを彷彿させるような、文字どおり修羅場なのだ。

 ところで、総格で闘う選手らは皆、素手にグローブを着用している。これは、競技の性格上、最も多用する拳(こぶし)打ちによって、必要以上に互いを傷つけることを避けるために義務づけられているのだが、ならば足はどうかというと、これが特に規制はないようだ。シューズやレガース、サポーターをつけている選手もいれば、素足の選手も大勢いる。手よりも足の方が、はるかに破壊力があるにもかかわらず、である。これは、どういうことなのか・・・。巷の一ファンの私には、安全面や技術面での深い知識がない。聞けばなるほどという理由はあるのだろう。しかし、ここはひとつ夕焼けイノキストとして、これは、人間の本能・感情に大きく関わる問題ではないか、と考えたいのだ。
 つまり、生きるか死ぬかの状況のなかで、守るも攻めるも、本能的に最も先に動いてしまうのは、足よりも手ではないか、ということである。もちろん総格選手らはプロだから、本能よりも冷静さをもって、手や足その他を動かす。
だが何度も言うように、生死を賭けた闘いだ。大きなヤマにさしかかったとき、あるいはヤラなければヤラれる、という局面に立ったとき、人間どこまで冷静さを保てるか・・・。そのとき、攻撃・防御ともに、思わず手が動いてしまうと思うのだ。
 そんな修羅場においてだけではない。我々の日常の片隅でも、喧嘩ともなれば、それは“蹴り合い”ではなく、“殴り合い”だろう。怒りの感情が頂点に達したとき、つい手が出てしまう、という場面はある。できうれば手の出先は人間ではなく、壁などの物体であることを願うが。
 より日常的なところでは、切羽詰まって悩み苦しむ時、自分の頭を叩いてしまうのも、自分の手。考えたら、朝起きてから晩寝るまで、人間の手ほど、感情を描出しながら自然に動く部位はない。人を抱きしめるのも手ならば、感極まった涙をぬぐうのも手。誰かと仲よくつなぐのも手だし、友好の握手と称賛の拍手は、世界共通の意思表示だ。幼い頃、父親から愛情をもって殴られたのも、大きな暖かい手、だった。
 手。掌(てのひら)。拳(こぶし)。時として、言葉や表情以上にハートを伝えるもの・・・と、ここまで考えたとき、総格選手のグローブは、相手を負傷させないためよりも、彼自身の大切な掌・拳を守るためではないだろうか、という気がしてくるのだ。
 そして、ここで更にクローズアップしたいのが、アントニオ猪木のナックルパート! というわけである。

 ナックルパート、拳打ち。猪木のそれは、間合いたっぷりに相手を睨(ね)めつけ、怒りの形相で大きく弓を引く、ストレートパンチだ。この技(と言っていいのか)そのものに、“溜め”と“爆発”があって、私は子供の頃から大好きだった。
 猪木のナックルは、人間の怒りというものを、ダイレクトに表現している。怒りのダイレクトな表現・・・それは、現実社会において私たちは、やりたくても出来ないことであり、他の方法をとることになるのだが、それだけに、ナックルを打ち込む6チャンの座長・猪木の姿はとてもわかりやすく、共感できたし、すんなり自身を投影でき、同化できた。中学時代、先輩たちの理不尽な圧力に屈しかけたとき、猪木のナックルパートから、たくさんの元気と勇気をもらった。私はこれをもって、イノキ初体験としている。
 だが猪木は、相手を本当に潰すときは、“足”を使った。密林男グレート・アントニオは、猪木に鼻を蹴り上げられて、顔じゅう血だらけになり、2度と日本へやって来なくなった。セメントとかシュートとか呼ばれるこの私刑は、プロレス内では最も恐れられている行為である。
 そして猪木がナックルパートを放つ時はいつも、相手は、立派な悪役として、光り輝いていた! そうだ。猪木は、鉄拳制裁ナックルをぶっ放すことによって、悪を懲らしめる激情を表現し、勇気・元気を観客に持ち帰ってもらいつつ、一方で対戦相手に対しては、限りない愛情を尽くしていたのだ。
 
 猪木は、人間の本能、闘いの原点に根ざしたこの原始的な技を、誰がやるよりも美しく見せたが、決してフィニッシュには使わなかった。プロレスルールでは、素手のナックルは反則行為なのだ。 試合中のここぞというときに、左手で相手の髪を
ワシ掴み、右手の拳を全身全霊かけて握り締め、大きく見得を切る。絶品の間の取り方と呼吸。そのとき場内は、歓声というよりも悲鳴に近い盛り上がりを見せる。そして猪木は、血の涙が流れる眼(まなこ)をカッと見開き、口元を歪めて、思いっきり弓を引く。このときの“溜め”は、プロレス度が高いほど長く、総格度が高いほど短い。
しかし、必ず弓を引いて溜めを作る。これがひとつのポイントだ。そして、1発、2発と叩き込む瞬間、場内の歓声は、爆音となる。この一連の猪木の所作は、リングの四方どこから見ても美しく、芸術的品格さえ漂っていた。
 愛の鉄拳、ナックルパート。それは、昔のおじいちゃんおばあちゃんが歓声をあげ、現代の若者たちをも魅了する、魂の一撃。
 やがてカウント3つが入り、試合終了のけたたましいゴング。勝利の雄叫び「ダアーッ!!」と共に、天高く突き出す猪木の拳は、全てを包み込むような優しさにあふれていた。そしてその心は現在、若者たちがお金を払ってでも直接猪木から受けたがっている闘魂ビンタに、受け継がれている・・・。



【宮脇 正治:みやわき まさはる】1960年、大阪生まれ。佛教大学時代は放送局設立準備会とプロレス研究会に所属。 近頃、夕焼けイノキストとして生きる決意を、ますます新たにしている。


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『Capricious Wind』

▼夏実


〜 Vol.1『風流花譚』とともに。〜

『風流花譚』の連載を始めて1年が過ぎようとしている。
 そう、キンモクセイの香りがそれを教えてくれたのだ。
 その香りを胸一杯に吸い込んで…。
 ああ、1年、また生きたんだな、と思った。

 人は、確実に『死』に向かって生きて行くけれど。
 それぞれに違う一日を、毎日毎日生きている。
 命のかけらをどんなふうに使っていくんだろう。
 自分でもわからない。
 とても大切に感じる瞬間があるにはあるし。
 一分一秒をリアルに感じる時だってある。
 でも何日だって無駄に、ただいたずらに過ごしたく思うこともある。
 そう、嫌になるくらい怠惰に…。

 人は命のかけらを一つ一つ失うのを引きかえに、生きている。
 そうして全て失ってしまった時、一体何が残るだろう。
 いつ途切れるかもわからないその瞬間に向かって、人は兎に角、生きて行くのだけれど。
 
 さて、『風流花譚』はこの1年、お茶や恋を織りまぜながら、のらりくらりと書いてきました。
 私の好きな花はたくさんあるけれど、心惹かれる花は意外と質素な様相のものが多いようで…。
 『ワレモコウ』なんてのはその代表格かも。
 決して主役級の花ではないけれど…とにかく惹かれる。
 『我も紅』…と、誰がつけたのか…。そんなことに思いを馳せていると
 何だか…(またこの物語がまとまれば発表したく思っていますが…)。
 
 こんなふうに何となく心惹かれるモノを取り上げて書いていたら、意外
 と花が多いことがわかって…そんなところから風流花譚というタイトル
 を思い付いたわけです…。花を通して知らず知らず季節を感じていた私
 …そんな花達にちょっと感謝の気持ちを現したかったのかもしれない…
 と、今では考えています。

 そして…1年を節目に『風流花譚』を『Capricious Wind』にタイトル
 を変えて、装い新たに(?)色々なことを書いていきたいな…と思って
 います。今まで通り、ショート・ストーリーも書きながら、たまに思った
 ことをちょっとしたためたり…気紛れ屋サンの私ならではの連載でいき
 たいと考えております。花のストーリーも出てくるかも…そんな時は
 『ああ、また会えたね。』と、風流花譚を思い出していただけるとライ
 タ−冥利に尽きるというものです。
 愛すべき読者の皆様、これからもどうぞよろしく…。


【夏実:なつみ】2001年、ryu_mama♪のHNでサイト『Ryu's Cafe』を開設。 現在、1男の母。


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『中年ロッカーの逆襲』

▼Kei


 再び拾得でライブをやることになった。前回の涙の(?)ライブから2年3ヶ月ぶりだ。バンドとしては1月2日以来である。別に拾得でなくてもいいのだが、昔のよしみでつい拾得に足が向かう。考えてみれば和歌山から京都に行くというのはなかなか大層で、平日にライブをするとなると、2日も休みを取らなければならなくなる。リハーサルは3時ごろだから、昼前に和歌山を出る。ライブを終えるのが9時過ぎで、それから打ち上げをやらなければならない(?)ので、その日のうちには帰れない。泊まるしかなくなるというわけだ。これを読まれている皆さん、そこまでして京都にやってくる中年ロッカーに愛の手を!などと同情をさそってどうするのだ。
 拾得は学生時代の思い出の場所である。日本のライブハウスの草分けであるのに、学生バンド・アマチュアバンドに対しての敷居の高さが無い。礫礫に出るときなんか、「客が呼べんかったらどうしよう?」ってかなり心配したもんな。(礫礫はプロとかもよく出てたから)そういう堅苦しさがなくていいんだ、拾得は。15年経っても、相変わらずの雰囲気を保っているのもいい。みなさん、もっと拾得を盛り上げよう!(と、ライブハウスに媚を売るいオジンロッカーのいやらしさである)
 けれど、拾得でなくても別にいいのである。年に3・4回ライブに出れれば。京都までいくのは大変だから年に1回もいけない。だから、大阪あたりで(できるだけ和歌山寄りで)敷居が高くないライブハウスがあれば、だれか紹介してください。和歌山には適当な場所が無いので。
 さてさて、ライブ、ライブと騒いでいたけれど、肝心の日時を書くのを忘れていた。

      11月30日(金)     京都 拾得

です。みなさん、来てね。
 僕たちBitter Tasteは演奏はあまりうまくないし(はっきり「下手」と書くと来てくれなくなるので、ソフトに表現しよう)、年はくってるし、ルックスはそれほどでもないし、流行からは外れまくってるけど(悪いところばっかりだ)、一生懸命演奏するのと、曲作りとアレンジは少し自信があるので、ぜひぜひ見にきてください。特に30を超えて「年かなー?」などと思い始めているアナタ!40前が二人、40代が一人という中年ロッカーのライブを見て元気になってください。

というわけで、増田君、11月最後の日は拾得で盛り上がろう!!



【Kei:本名 坂本 桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。

ここだけしか買えないIBM Aptiva E Series新登場!



■編集後記

『中年ロッカーの逆襲』でも書かれていますが、Bitter Tastのライブを京都の拾得で演ります!
興味のある方はぜひぜひ拾得まで足を運んでください。このライブハウスは風情があってなかなかよろしいですよ。
Bitter Tast
11月30日(金)     京都 拾得

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編集:柏原  誠 
    増田達也

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2004年1月10日 更新

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