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第20号
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『Fomura1〜大地を翔ける秒速の戦士たち〜』 |
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▼柏原 誠
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| Round7カナダGPは「シューマッハGP」とでも言っていいぐらいのレースだった。 ポールポジションにミハエル、そしてセカンドローにラルフのシューマッハ兄弟が並び、レースは序盤から「時速300km/hの兄弟ゲンカ」のような展開となる。 実際には感情剥き出しのレースではなく、互いの走りを理解したせめぎ合いであった。 ラルフのドライビングの腕はどうかと言うと、兄曰く「弟のほうが僕より早い」と言わせるだけあって、非常に上手い。兄が努力の積み重ねで今のポジションを得たのに比べ、弟は恵まれた環境で育った天才肌のような感じもする。 なおかつ今回のレースではウィリアムズの仕上がりが抜群だった。特にエンジンにパワーがあり、タイヤがミシュランのハードを使ったため、ダウンフォース重視のハイウイング(ウイングを立てた状態)でも、直線で絶好調のフェラーリに迫るほどである。 「(兄ちゃんが)ピッタリ後ろについてもなかなかミスをしない」というラルフの弁のとおり、さすがに兄弟である。手の内はわかってるぞとばかり巧みにパッシングラインを消してゆく。結局ラルフがトップに立ったのはミハエルがピットに入ってから。そこか そんなシューマッハ兄弟の話題が目立ったカナダGPだが、他チームの状況はどうか。まず現役最年長のアレジ。ブロストとの義理人情でクソ遅いマシンを飼ってはいるが、今までの7戦全部を完走するという安定したドライビングはやはりベテランの実力だ。 さて次回はRound8ヨーロッパGPである。マクラーレンに代わり、ウィリアムズが台頭してきたF1GP。フェラーリが逃げ切るか、それとも・・・。 グランプリも中盤に差し掛かった今回は「ドイツGP」である。 ドイツといえば、シューマッハー兄弟の母国。そして、弟のウィリアムズBMWにとっても、またマクラーレン・メルセデスにとっても母国GPである。 兄ちゃんは前人未到の51勝目がかかっているし、エンジンサプライヤーのドイツ勢も、そりゃあリキの入るレース。 とはいっても、ここホッケンハイムは「魔物」が棲むという位マシンの生存率が低い。 兄ちゃんも実はホッケンハイムでは未勝利なのである。(そういえばベネトンでバリバリ強かった時もここでの勝者はG・ベルガー駆るフェラーリ412T1Bだった。) さて、今回は予選も少し見ていたのだが、どうもBMWは母国GPということでスペシャル・エンジンを投入したらしく、トップ2を1秒以上引き離す速さ。しかもパワーがあるからダウンフォースをしっかりかけられるのでトラクションがバリバリに良さそうだ。 ポールポジションはルーキーにして初のポールとなった元CARTチャンプ、モントーヤが獲得し、セカンドローに弟・ラルフが入った。 レースはスタートで大波乱。4番グリッドの兄ちゃんシューマッハのマシンがギアの不調でスピードが出ず、後続のマシンと大クラッシュ!前年に続いて早々にリタイア?と思われたが、クラッシュしたマシンの破片がコース上に散らばり、結局赤旗が出てレースは再スタートとなった。 この間に慌ててスペアマシンに乗り換えて再スタートを切ったものの、5番グリッドのバリチェロとは赤らかにパフォーマンスが違う。しかもどんどん先をゆくウィリアムズの2台。 中盤から後半には2位についたバリチェロと40秒以上の差をつけ、もはや「ツーリングモード」である。 今回はトップ2はさんざんである。マクラーレンはまず先にハッキネンがエンドントラブルでリタイア。続いてクルサードにもトラブルが出て沈没。 そして兄ちゃんのマシンもスローダウンしリタイアと、残った1台はバリチェロのみとなった。やがてトップを快走していたモントーヤも給油後にトラブルが発生する。ここでトップは弟ラルフに入れ替わり、今期3勝目を母国で飾ったのである。 この間、兄ちゃんは何をしていたかというと、コース脇で実況のラジオを聞いている映像が出ていた。 レース後のインタビューでも、「僕以外に勝つなら、弟が勝ってくれるのが一番嬉しい」と素直に喜んでいた。 3位にはこれも久々のBARホンダ駆るビルヌーヴが入賞。久々のホンダ勢ポイントゲットであった。 それにしてもウェリアムズはマジで復調の兆しである。というよりもBMWはさすがとしか言うほか無い。これだけ早く結果を出せるというのも、やはりしっかりとした開発体制がメーカーに備わっているのだと思うが・・・ 第13戦ハンガリーGP。実はこのレース、シューマッハが勝てば通算51勝でプロストの持つ最多勝記録と並ぶだけでなく、今年のシリーズチャンピオンになるのである。 さてハンガリーGPはシューマッハのPP、クルサードの2ndでスタート。クルサードも大差ながらランキング2位につけている。 それ以後もシューマッハは安定した走行を続け、ついに77周、シューマッハが51勝目のチェッカーを受けた。 【柏原 誠:かしはら まこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。 |
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『戦略的GUNKAKU』 |
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▼景山太朗
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戦略的GUNKAKU::笑いのツボ2
「笑いのつぼね−。あ、これは聞いた話なんだけど関西と関東では笑いのつぼが違うとか。芸人さんはネタも使い分けてるとかいうの聞いたんだけど本当かなぁ。」 前回の「戦略的GUNKAKU」に以上のメッセージが届いたので、それに対して。自分なりに回答してみたいと思います。 関東と関西の笑いのツボですが、若い世代では、ほとんど差はないと思います。若い世代というのは、年齢的なものだけでなく、精神的に若いという意味です。精神的に幼いというのとは、また別です。 東西のお笑いの格差がなくなってきた理由として、ひとつ挙げるとすれば、ダウンタウンが全国区で成功し、新しい笑いを確立したことにあると思います。ダウンタウンの影響を受けている世代にとっては、笑いの格差というものはほとんどないのではないでしょうか。 もし、ダウンタウンが関西出身でなければ、関西の笑いは関東に取り残されていたかもしれません。関西人特有の、関東のものを拒絶するという癖があるからです。一時期、関西弁の笑いが流行し、「笑いといえば関西だ」というような空気がありましたが、この考え方は危険であり、お笑いの発展を妨げるものだと思います。大切なのは、東西関係なく面白いものは面白いと感じられる柔軟性です。現在の吉本興業の成功は、この柔軟性にあります。 最も大阪をイメージするお笑いといえば、吉本新喜劇だと思うのですが、それを例に挙げてお話します。以前(藤井隆や山田花子がメジャーになる前)、新喜劇は客足が落ち、困っていた時がありました。原因は、新喜劇の笑いに大阪人自身が飽きてしまった事。こんなことを言うと、「なに、アホなこと抜かしとんねん、ぼけぇ、くらえ、パチパチパンチや!」と言われそうですが、お金を払ってまでナンバグランド花月に新喜劇を観にいこうという人が、減ったことは事実です。「吉本新喜劇は好きでも財布は正直やった」、ちゅうやつです。それに付け加え、若い客の獲得にも失敗していました。 そこで、新喜劇メンバーの大幅チェンジということになるわけですが、それが成功し、現在にいたるわけです。「昔のものを壊したからこそ、藤井隆や山田花子という新しい人が出てきた」と、吉本の偉い人が言っていました。藤井さんや花子さんは、全国的に人気があり、また、広い年齢層にうけています。そして、関西の笑いという枠ではくくれません。また、関西の人でも、スマスマや笑う犬で笑いますし、東西に笑いの壁のようなものは、ほとんどなくなりつつあるはずです。 芸人さんのネタの使い分けですが、地域ネタに関しては使い分けをしています。関西の人にしかわからないことを言っても、他の地域の人にはわからないので、地域ネタは使わないようにするか、かなりデフォルメして使っているはずです。ネタの使い分 最後に、御老人の一言。 戦略的GUNKAKU:アンパンマンはワカメちゃん並のモダンガールヘアーにドラえもんボディーで、ホラーな現在
小学校時代、クラスにアンパンマンと呼ばれる女の子がいた。もちろん顔をちぎっておなかのすいている子供やホームレスにあげていたからという訳ではない。そんな事があれば、アンパンマン女史は今ごろどこかの収容所に監禁されていることだろう。 彼女がアンパンマンと呼ばれた由縁は、顔がまるく、ほっぺもアカマルだったからだ。ボディーもまるかったので、ドラえもんと呼ばれていたとしてもおかしくはないのだが、彼女の攻撃性ゆえ、アンパンマンの方が適していたのだろう。「アンパンチ」からもわかるように、直接攻撃好きの肉弾戦タイプである。彼女が口からカレーを吐き出し、カレーパンマンになることはあっても、ポケットから道具を出すようには見えなかった。 彼女のヘアースタイルは、前髪を短く揃えたおかっぱのモダンヘアーである。俗にいうワカメちゃんカットであった。 小学校時代の私は、幸運にも学校のクラスが1学年に2クラスしかなかった事も手伝い、毎日のように彼女と顔をあわせていた。そのころの私は、彼女のほっぺのアカマルをいつでも観られるものと思っていた。しかし、私のその考えはあさはかだったと思い知らされる事になる。 「女は、日々変わるのだ」 彼女にはもうひとつのニックネームがあった。しかし、ここでその名前を公開するのはやめておこう、彼女にもプライバシーというものがある。ここでは、韓国の辛い食べ物の名前だったということだけを明かして、話を進める。 同じ中学に進学することになった、私とキムチ。二人の仲は徐々に引き裂かれていく。なぜなら、彼女は中学に入ったのをきっかけにアンダーグラウンドな世界へと引き込まれていったからだ。元々あまり仲の良くなかった私とキムチが疎遠になっていくのも無理はない。危険を冒してまで彼女の暮らすアンダーグラウンドな世界に入っていく勇気は、その頃の私にはなかった。というか興味がなかった。きっとそこは「ぐふふ、あはあは、どんぶらー、しきしゃばー」といったところだったに違いない。想像しただけでも寒気がする。 中学を卒業し、早や8年が経つ。彼女に会わなくなってからも、年に1度くらいのペースでキムチ情報が私の元に届く。なんというカリスマだ。彼女を目撃したということだけで、友人の中ではヒーローになれるのだ。キムチ最新情報は闇ルートで全世界を飛び回り、高値で取引される。 「この前、キムチに遭ったぜ」 さて、今回のタイトルは、 「アンパンマンはワカメちゃん並のモダンガールヘアーにドラえもんボディーで、ホラーな現在」 である。私は彼女に遭遇したのだ。実に8年振りである。 な、 「ほっぺのアカマルがなくなってるー」 どがーん ぷす ぷす ぷす 思わず、改行しまくってしまった。マンガなら見開き1ページを使ってしまう勢いである。彼女はもう、アンパンマンではなくなってしまっていたのだ。しかも、ダイエットの成功によりアカマルが無くなったのなら、良かったのだが、彼女のアカマルが無くなってしまった原因はそうではない。原因は太り過ぎの為だった。 彼女は太り過ぎと、運動不足の為、顔面脂肪の硬質化がおこり、なんとも血色の悪い顔色になっていたのだ。言うなれば紫色。かつてアンパンマンと呼ばれていた頃の健康さは、彼女から微塵も感じられなかった。8年という歳月は、彼女を正義のヒーローから、B級ホラー映画のモンスターへと変貌させるのに充分すぎた。 今日は、思い出の中のアカマルに敬礼します。 【景山 太朗:かげやま たろう】1978年生まれ。鳥取出身。佛教大学時代は放送局に所属。今年から本格的に構成作家として始動、今後が期待される若手。ナンバ近辺に居を構えて、どっぷり大阪生活に浸かろうとしているようだ。 |
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『風流花譚 その5』 |
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▼夏実
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〜Heavenly blue〜
それは、たまたま通りかかった大きなお屋敷の垣根にからみつき、さら に上へと登る勢いの蔓(つる)は、まるで空に向かって手を伸ばすように 見えた。 * * * あの青い瞳を忘れることなど、どうして出来るだろう。 近くに忍び寄る命の限りを知って生きていくこと。 早朝に彼の病室をたずねた。 しばらく彼の確かな温もりを感じていた。 * * * 空が明るくなりはじめた頃、白いシャツの袖にソッと腕を通した。 お屋敷の垣根は「Heavenly blue」に、見事に彩られていた。 花が優しく微笑みかける。まるであの人のように。 【夏実:なつみ】2001年、ryu_mama♪のHNでサイト『Ryu's Cafe』を開設。 現在、1男の母。 |
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『中年ロッカーの逆襲』 |
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▼Kei
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〜エビ採りの夏〜
長い休養をとっていて、原稿から遠ざかっていた。とは言っても、どれだけの人が僕の原稿を読んでいるのかわからないけれど。
別に体調が悪かったわけではない。ちょっと仕事上のトラブルがもとで自分を見失いかけていた。それで落ち込んでいただけのことだ。 元気のないとき、中年ロッカー(あくまでも僕の場合)は何をするのか。ロックなどは聴かない。演奏もしない。カラオケにも行かない。飲酒は日常だから、改めて酒に浸ったりもできない。では何を? 何も考えないこと、そうなれることに没頭する。これが答えだ。でも、そういうことってあまり見つからない。 「バンドは違うのか」って言われるかもしれないが、僕の音楽は攻撃性が原動力なのだ。落ち込んでいるときに純粋に攻撃的にはなれない。ソングライティングならともかく。 結局何をしていたのか。ばかみたいだ。都会の人には想像もつかないだろうが、僕は、川でエビ採りをしていたのだ。「何、それ?」と言いたそうな顔が目に浮かぶぜ、増田君。しかし、この夏は1週間に3日はエビ採りに川通いをした。 もちろん、大の大人が一人で川に行くのは恥かしいので(鮎つりではない。手網を持ちもぐって石をめくり、潜んでいるテナガエビを採るのだ。)、子どもをだしに連れて行く。二人の息子(小4と保育園年長)は川遊びのとりこになっているので、当然大喜びである。何しろ自宅から車で5分のところにきれいな川が流れている。仕事を早めに切り上げれば平日でも1時間は遊べるのだ。 小4の長男はゴーグル一つで、保育園児は水中眼鏡とアームヘルパーで、川遊びを十分楽しめるから、ときどき様子を見ていれば放っておいても大丈夫。子どもが遊ぶ位置よりも川下で、もぐってはエビを探し、網ですくう。失敗すれば息を吸ってまた潜る。この繰り返しであっという間に2時間ほどが過ぎる。この夏僕たち親子はどこに行っても一番黒かった。 この安上がりな遊びのおかげで、父と子の絆はより深くなったし、何よりも「何も考えない時間」を過ごすことができた。そして、そんな夏を送れたおかげで、元どおりの攻撃性がとりもどせた。これからバンドはレコーディングに入るのだ。エビ採りというアウトドア遊びとバンドのレコーディングというインドア遊び。全く接点がなさそうな二つの側面を僕の身体は心地よく同居させている。 【Kei:本名 坂本 桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。 |
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編集:柏原 誠 2004年1月10日 更新 |