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第19号
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『中年ロッカーの逆襲』 |
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▼Kei
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〜われら中年ロックバンド!!〜
バンドの調子がなかなかいい。断っておくが上手くなったのではない。相変わらず下手は下手である。 〜あの頃のメロディー〜
ここ数年テレビのCMを見ていて「ギョッ」とすることが多い。 【Kei:本名 坂本 桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。 |
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『Fomura1〜大地を翔ける秒速の戦士たち〜』 |
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▼柏原 誠
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| Round6モナコGPである。予選ではハッキネン・クルサードのマクラーレン勢と シューマッハとのポールポジション争いから始まった。ハッキネンが久々のパフォーマ
ンスでトップに立つと、後は抜いたり抜かれたりの争い。結果は初のポールとなった クルサード、続いてシューマッハのセカンドローとなった。 ところがどっこい、である。フォーメーションラップのスタートでなんとクルサードのマシンがエンジンストールで走れない。結果クルサードは昨日の努力が霧消した22番手スタート、前々回に続いてラッキーを拾ったシューマッハが先頭となった。以降レース は抜きどころのないモナコでシューマッハの独走状態となる。 以前にも述べたが、モナコはF1GPの中で最もマシンに過酷なコースと呼ばれている。 市街地コースという極めて悪い路面状態に加え、まるで交差点のようなコーナーが連 続し、しかもエスケープゾーンは殆ど無いからコースアウト=クラッシュ・リタイアとなる。 マシンも当然エンジン・ミッション・空力全てが「モナコ・スペシャル」となる。僕はいま99年にウィナーとなったフェラーリF399のミニカーを作っているが、外観も他のGP 仕様車と異なっている。ウイングに至ってはなんと5枚ものウイングが取り付けられて いるのだ。それだけダウンフォースを稼いでいるということか・・。しかもこのコースは コーナーが連続するから、ミッションの耐久性もぜんぜん違う。だからマシン全体の バランスとか、耐久性とかがものすごくモノを言うコースなのだ。 「モナコを制するものはグランプリを制す」と言われている。そういう面ではセナと並び 「モナコ・マイスター」と呼ばれるシューマッハが最も近いのであるが、早々とライバルのマクラーレン勢が全滅してしまうといささか「興ざめ」である。 結果はフェラーリ/シューマッハとバリチェロの1−2フィニィッシュであったが、3位には久々のアーバイン/ジャガーが入り、4位にビルヌーヴ、そして22番手スタートの クルサードが5位に入った。 しかしシューマッハは強い!モナコ通算5勝は初代モナコ・マイスターのグラハム・ヒル (あのデイモン・ヒルのお父っつぁんね)とアラン・プロストに並ぶ記録である(セナは通 算4勝)。 さて、F1GPはいったんヨーロッパラウンドを終え、カナダGPへ。しかしまだまだ分か らない状況は続く、闘将クルサードの活躍とシューマッハとのバドルに期待したいものだ。 【柏原 誠:かしはら まこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。 |
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『2001 CINEMA ODYSSEY』 |
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▼増田達也
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「TAXI DRIVER」を今回は取り上げてみたい。 |
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『戦略的GUNKAKU』 |
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▼景山太朗
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戦略的GUNKAKU:02
山岸 海斗(7才)―3月8日― ぼくは、1ヶ月前にこの街に引っ越してきた。 今住んでいる所は、前の家よりすごく 狭いし、犬も飼っちゃだめで、ミニチュアッダックのミニモケは、お父さんが自然に帰した。かわいそうだけど、お父さんが自然に帰したほうがミニモケのためだと言っ ていたし、引越し先には犬を食べてしまう人が住んでいるという噂も聞いたので、ぼ くもミニモケを自然に帰すことを賛成した。作業服を着た真面目そうなおじさんが、 ミニモケを自然へ連れて行ってくれた。その日は、学校の友達とお別れ会だったか ら、ミニモケを送ることは出来なかった。 ぼくのお母さんは、半年前の同窓会に行ってから、毎日の帰りが遅くなって、引越しをする頃になると、ぼくの晩御飯と朝の牛乳を届けに来る以外は、あんまり会えなく なった。ぼくのお父さんは、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいるのが辛そう だった。近所の人がぼくのお父さんはマスオさんだと教えてくれた。引越ししてか ら、お母さんはたまにぼくを食事に連れて行ってくれる。家に泊まることはない。ぼくはお母さんの子供なのに、お母さんはそれを何度も確かめる。前はぼくのコレク ションしているカードをバカにしてたけど、最近は嬉しそうに買ってくれる。「お母 さんは海斗の喜ぶ顔がみたいの」と言って笑っている。お父さんが言うには、お母さんは病気であんまり一緒にいられないということだった。ぼくは病気がうつるのが嫌だったから、お母さんの前であんまり息をしないようにした。 ぼくの新しい家の近くには、一人のおじさんが住んでいる。おじさんの住んでいるの は大きな道路の脇の建物と建物の間で、ダンボールを敷いていつもその上に寝てい る。髪の毛とヒゲがすごく長くて、前に図書室で見たガンジス河周辺に住む聖者に似ていた。たぶん修行中なのだ。ぼくはこのおじさんを観察することにした。 おじさん観察―3月16日― おじさんの寝床に敷布団と掛け布団があった。敷布団の下にはダンボールが敷い てあり、足の部分が高くなるようにしてある。ぼくも今日寝るときは足を高くしてみよ うと思った。 おじさん観察―3月27日― おじさんはプラスチックのコップと割り箸、ごま塩を持っている。これらはどこで手 に入れたのだろうか? おじさん観察―4月13日― なんと驚くことに、おじさんが2人に増えていた。修行の成果だろうか?おじさんの 謎は深まるばかりである。もしぼくが2人になったらお父さんは喜ぶだろうか?ぼく のお母さんとシンケンということでもめているらしい。 おじさん観察―4月16日― テレビでおじさんに似た人たちが、ホームレスと呼ばれていた。家のない人という意 味らしいけど、テレビの中のおじさん達は犬も飼っている。ぼくの家では犬を飼うこ とは禁止されている。ミニモケは自然の中で元気にやっているのだろうか? おじさん観察―5月1日― おじさんは自転車も持っているみたいだ。おじさんの自転車のカゴには、コンパクト ディスクが飾られている。太陽を反射して七色に輝くCDはすごく綺麗だった。ぼくが そのCDを観察すると「ODNプロバイダー」と書いてあった。どんなアーティストなん だろう? おじさん観察―5月18日― 2人のおじさんはいなくなった。修行が終わってガンジス河の聖者の仲間になったん だと思う。ぼくもがんばって生きていこう。 戦略的GUNKAKU:赤鼻毛のアン
赤い鼻毛の生えている少女アンは、思春期、真っ只中の十三歳。アンには一つの悩みがあった。 それというのは、クラスメイトから鼻毛の事でいじめられていることであ る。彼女の鼻毛は遺伝的なものであり、自分の鼻毛に誇りを持つ母親にはなかなか悩みを打ち明けられない。そんな彼女ではあったが、ある日鼻毛を黒く染める事を決意 した。(ビゲン男の白髪染め等を用意) アン「ツンとする匂いがたまらないわ」 次の日の朝、アンの黒くなった鼻毛を見て母親は彼女を怒鳴りつける。 母「親からもらった大事な鼻毛を!」 逃げるようにして、家を出て学校に向かったアンに待ち受けていたのは、以前にもましてひどくなったいじめだった。どこにも自分の居場所がなくなったアンは、自分の部屋に閉じこもり、深く悩む。 アン「普通の女の子になりたい。この鼻毛さえなければ」 アンは自分の鼻毛を抜いた。 アン「これで私は普通の女の子になれたんだわ」 アンに訪れた久々の心地よい眠り。 次の日の朝、眠い目をこすりながら鏡をのぞくと、そこには抜いたはずの鼻毛がより 多くなった自分の姿が映っていた。激しく泣き叫ぶアン。鼻毛をむしって食べる。 アン「けっこういけるやん」 完 この「赤鼻毛のアン」は、私が初めて書いた舞台用集団コントのプロットであり、そ して早速、ボツになった。 これを書いているとき私は何を考えていたのだろうか?あほすぎる。「もしやラリっていたのでは?」と、自分を疑いたくなる。自分の内向的な妄想世界に入りすぎている。 先輩の作家さんに、「とりあえず書け」と言われ、とりあえず書いたのがこれだった。今考えると、とりあえずにも程がある。舞台での場面転換なんてほとんど考えていないし、台本を制作するためのプロットのはずが、物語になっている。しかし、これを書き上げた当時の私は、いいものが書けたと酔いしれていた。「赤い鼻毛」が、アルコールのように血管中を駆け巡り、私の脳を侵していたのだ。「赤い鼻毛の少女、なんておもろいんや。これでうめだ花月はもろた」。 アホなことを真剣に考えなければならない職業柄、時にアホなことをアホに考えてしまっている自分に気付かないという落とし穴だった。 その後、「赤鼻毛のアン」の反省を踏まえ、何本かコントを書いた。そして、初めて 採用されたコントのタイトルは「ふかづめのアン(つめを深く切りすぎたアンは・・ ・)」である。 というのは嘘である。「初恋の人とは結ばれない」とよく言うが、 「赤鼻毛、ふかづめのアン」は改良を加え、いつか映像化してやる、と心に誓う私で あった。 【景山 太朗:かげやま たろう】1978年生まれ。鳥取出身。佛教大学時代は放送局に所属。今年から本格的に構成作家として始動、今後が期待される若手。ナンバ近辺に居を構えて、どっぷり大阪生活に浸かろうとしているようだ。 |
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■編集後記 今号は、「中年ロッカー」と「戦略的GUNKAKU」が2本立てである。 ■原稿執筆者募集! このメールマガジンに関するご意見・ご感想について
編集:柏原 誠 kashihara@nocturne-jp.com 2001年11月21日 更新 |