マイペンライでゴー
第19号

中年ロッカーの逆襲

Kei
柏原 誠
増田達也
景山太朗

もう梅雨に入ったみたいであります。なんせ梅雨入り宣言なるものが、発令されたのですから。でも梅雨に入った癖に降らないのである、これが。まあしかし、どうせ7月ぐらいにどひゃひゃと降るに違いない。困ったもんである。でも降らなければ降らないで困ったことになるのである。人間自然には逆らえない。ジメジメしたこの季節、サラッと生きていきたいものである。
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『中年ロッカーの逆襲』

▼Kei

〜われら中年ロックバンド!!〜

  バンドの調子がなかなかいい。断っておくが上手くなったのではない。相変わらず下手は下手である。
けれど、気持ちが充実しているというか、近頃の練習でも、メン バー全員のやる気がちがう、ノリが違うのである。一言では上手くいえないが、やっぱり涙の拾得ライブ(もう2年前になる)で脳天を勝ち割られて以来、島村楽器のミニライ ブやピストンズ(高校の同級生)とのジョイントなど(たった3回だが)で場数を踏んだこ とと、何よりも週1度の練習によって、ファーストライブの頃よりはずっとテンションが高 くなったような気がする。(「自分で言うな」と言われそうだが、誰も言ってくれないので・・・)
と言うわけで新曲に挑戦している。実は今までは今の実力でできる範囲のことをする、という考えで曲つくりをしていたのだが、今回は、リズムも曲も歌も全てが新たな領域に挑戦しているわけなのだ。仕事を抱えて家庭をもって、時間に追われる生活の中で、ともすれば「あまり無理をしないように、気楽に気楽に・・・」という感じでやってきていたのだが、勢いというのは恐ろしい。ライブなどでテンションが高まってくると、自分の力量を超えたようなことにまで挑戦してしまうのだ。36(40歳もいるが)にして「若気の至り」状態の3人なのだ。
新曲を演奏するときのくたびれようと言ったら、他の曲を演るときの疲労の3〜4倍分に相当するだろう。演奏し終わった後は全員息があがって「ゼーゼー」言っている。それでも、3人とも笑っているのだ。「しんどいなー」と言いながら。決して「心地よい疲れ」ではないにもかかわらず。
 これをお読みの皆さんはどのように感じているのだろう?みなさん、最近座ったり立っ たりするたびに「よいしょっ」と声を出していませんか。出不精になっていませんか。「立 ちが悪く」なっていませんか。「人間年とともに衰える」というセリフは聞き飽きるほど聞いてきたけれど、ある程度の歳になると実感が伴ってくるものなのだ。別に自分の老け具合を強調するつもりはないが、衰えを実感することは避けられない。でも、衰えの中でも、その流れをさかのぼることはできるのだということがわかってきた。前にも書いたかも知れないが、人は歳をとる。しかし、歳をとると何もかもが衰えるわけではない。ロックはもはや若者だけの音楽ではないし、ミックジャガーやデビッドボウイーから比べれば僕らなど、ほんのガキだ。今から思えば、32,3のころより、今のほうがずっと守っていないし、ポジティブでいられる。
 ビター・テイストは5年という歳月をかけて、やっと「中年ロックバンド」となってきた、そんな気がしている。

 と、こう書けばすごくかっこいい感じに聞こえるが、真昼間の練習前からワインを飲んで (練習中にはビール)いるただの酒飲みのオヤジの集まりにすぎないのだが。

追記:夏に2年ぶりのライブ(たぶんまた拾得だと思う。予定は未定)を行うつもりです。これを読んで「中年ロックバンドの悪あがき」を見てみようと思われる方は、ぜひお越し ください。


〜あの頃のメロディー〜

 ここ数年テレビのCMを見ていて「ギョッ」とすることが多い。
「かわいい女の子が胸の谷間とか太ももとかチラチラさせてるからやろ!」 と突っ込みたいだろう、増田君。しかしそういうわけではない。
 CMのBGMのことだ。僕らが学生バンドGAOSSをやっていたあの頃、80年代の名曲(それと僕らが影響を受けたバンドの曲)が使われていることが非常に多いのだ。
 数えてみても、ポリス、シンディー・ローパー、ユーリズミックス、Tレックス、セックス・ ピストルズ、ジミヘン、ロキシー・ミュージック・・・など。プリテンダーズのクリッシー・ハイ ンドの声がCMで聴けるとは思ってもみなかった。バイオの「20センチュリーボーイズ」 (これは70年代だが)なんか、新年のライブでやったばっかりやんか!クラッシュなんか、とってもさわやかなアウトドアスポーツの映像のバックに流れているのだ。「こらこ ら、クラッシュを知らない今の若者が、チューブみたいなグループを想像してしまうだろ うが!」と思わず文句を言いたくなってしまう。
 いったい、なぜなんだ。僕らの好きだったあの頃のグループ(曲)は、あの頃そんな にメジャーじゃなかった。洋楽チャートでヒットはしていたものもあったけど、友人に 「クラッシュってかっこいいで」とか言っても「何それ?知らん。」というリアクションだっ た。CM曲に使われるなんてとんでもなかった。洋楽ファンはどちらかと言うとマイナー だったのだ。特にブリティッシュ・ニューウェーブは。ねえ、増田君。
 それなのにどういうわけだ。なんで今ごろ?と正直驚いている。確かにサウンドは 「ニューウェーブ」とか「パンク」というイメージ(過激・斬新という)よりもずっとかっこ よかったし(単なる主観だが)、メロディーもポップなものが多かった。(僕はポップな曲 だったから好きだったのだ)けれど、ジャンルとしては、多くの人が好んで聞くような (アイドルみたいに)メジャーなものではなかったにもかかわらず、なんでこの現象 なの?と不思議がる今日この頃であった。
 で、考えてみたのだが、まず、洋楽界は(それ以外の流行音楽業界のどこもそうか も知れないが)新しいジャンルやアーチストが不在なのではないか。近頃、とんと新譜 を買いに行かなくなったので(僕の流行は89年で止まっている)、確信はないのだが。
 次に、あの頃(80年代ごろ)若者で、パンクやニューウェーブを好んで聴いていた世代(僕らとほぼ同世代ぐらいかな?)が仕事の中堅層になったこと。駆け出し(「使いっ 走り」、「見習い」とも人は呼ぶ)のころとは違い、ある程度の仕事を責任を持って任さ れるぐらいのポジションになって、それでCMの曲にも自分の青春時代の曲を使うよう になったのかなとも思う。そう言えば「どっちの料理ショーのBGMなんて、60〜80年代 洋楽ロック&ポップスのオンパレードだぜ。エルビスコステロなんかかかっちゃうんだも ん。涙もんだよ。しかし、これもテレビ業界の情報は全く知らないので、確信はなし。
 それから、やっぱり僕のセンスがよかったのかなということ。(なんか文句あるか!) いい曲は時代が過ぎてもいいのだ。ただ、新曲の頃は、流行という一つの流れで見ら れてしまうから、「売れるか」「売れないか」という観点だけで判断されてしまう。しかし、 時間とともにそういった付加価値よりも、本質的な価値(曲の場合だと「メロディーの美 しさ」とか)がものを言うようになる。付加価値だけで本質が弱いものは、旬を過ぎれば廃れてしまうのではないか。そうして、時流にのっていなくても、本当にいいものだけが 次の時代に残っていく。僕が若い頃好きだった(ぼくは絶対「ポップだ」と思っていた) バンドや曲は、本質的に優れたものであったのだ。だから時間がたっても色あせない。 僕は「売れているから聴いていた」わけでは決してなかったから。そして今でも時代遅 れの曲ばかり聴いている 。
 とまあ、独断と偏見で勝手に分析をしてみたのだが、こう考えると、人の生き方とも共通しているなあとつくづく思う。時流を追いかけるだけの軽薄な生き方はそのうちに 廃れる。そうなったら次の時流を求める。イタチゴッコだ。それよりも、時代遅れでもいい、本当に自分がいいと思う生き方を貫くことの方が結果的には豊かに生きていけるような気がする。でもまあ、それがなかなか難しくて、誰にもできることではないのも知 っている。だからこそ、誰かがどこかで、「時代が変わっても廃れないもの(生き方も)の価値」を叫び続けることが必要なのだと思う。そう思って僕はオッサンになっても歌を書き歌い続けているのかもしれない。


【Kei:本名 坂本 桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。


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『Fomura1〜大地を翔ける秒速の戦士たち〜』

▼柏原 誠 

 Round6モナコGPである。予選ではハッキネン・クルサードのマクラーレン勢と シューマッハとのポールポジション争いから始まった。ハッキネンが久々のパフォーマ ンスでトップに立つと、後は抜いたり抜かれたりの争い。結果は初のポールとなった クルサード、続いてシューマッハのセカンドローとなった。

ところがどっこい、である。フォーメーションラップのスタートでなんとクルサードのマシンがエンジンストールで走れない。結果クルサードは昨日の努力が霧消した22番手スタート、前々回に続いてラッキーを拾ったシューマッハが先頭となった。以降レース は抜きどころのないモナコでシューマッハの独走状態となる。

以前にも述べたが、モナコはF1GPの中で最もマシンに過酷なコースと呼ばれている。 市街地コースという極めて悪い路面状態に加え、まるで交差点のようなコーナーが連 続し、しかもエスケープゾーンは殆ど無いからコースアウト=クラッシュ・リタイアとなる。 マシンも当然エンジン・ミッション・空力全てが「モナコ・スペシャル」となる。僕はいま99年にウィナーとなったフェラーリF399のミニカーを作っているが、外観も他のGP 仕様車と異なっている。ウイングに至ってはなんと5枚ものウイングが取り付けられて いるのだ。それだけダウンフォースを稼いでいるということか・・。しかもこのコースは コーナーが連続するから、ミッションの耐久性もぜんぜん違う。だからマシン全体の バランスとか、耐久性とかがものすごくモノを言うコースなのだ。

「モナコを制するものはグランプリを制す」と言われている。そういう面ではセナと並び 「モナコ・マイスター」と呼ばれるシューマッハが最も近いのであるが、早々とライバルのマクラーレン勢が全滅してしまうといささか「興ざめ」である。

結果はフェラーリ/シューマッハとバリチェロの1−2フィニィッシュであったが、3位には久々のアーバイン/ジャガーが入り、4位にビルヌーヴ、そして22番手スタートの クルサードが5位に入った。 しかしシューマッハは強い!モナコ通算5勝は初代モナコ・マイスターのグラハム・ヒル (あのデイモン・ヒルのお父っつぁんね)とアラン・プロストに並ぶ記録である(セナは通 算4勝)。
さて、F1GPはいったんヨーロッパラウンドを終え、カナダGPへ。しかしまだまだ分か らない状況は続く、闘将クルサードの活躍とシューマッハとのバドルに期待したいものだ。


【柏原   誠:かしはら まこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。


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『2001 CINEMA ODYSSEY』

▼増田達也


 「TAXI DRIVER」を今回は取り上げてみたい。
今なぜ「TAXI DRIVER」なのか?それは、DVDでコレクターズ・エディショ ンが発売されたからである。(単純な・・・) この映画は1976年製作となっている。もちろん僕はリアルタイムではみていない。
少し斜に構えた映画ファンであった高校生の僕(等)は、もちろんハリウッドの大作映画も観に入っていたが(STARWARSやE..T.もロードショウで観た)、自主上映映画や今で云う単館上映やミニシアター系の映画を好んで観たりしていた。その頃はそんな言い方はしていなかったが・・・。高校生でありながら、深夜から朝にかけて上映される映画を京都から大阪の劇場(会館?)まで観に行っていた。今となっては題名を思い出せ ない映画が大半である。
そういえば、「愛のコリーダ」が祇園会館かどっかで上映されていたので、僕等は純粋な興味半分、エッチな想像半分に劇場に足を運んだ。感想としては「そんなたいしたことないやんけ」である(もちろんエッチシーンがである)。今思うとたかが高校生の僕等にあの安部定の愛憎関係の話しなんか理解出来なかったのかもしれない。

話しがそれた。「TAXI DRIVER」は監督がマーティン・スコセッシ。脚本がポール・シュレイダー。 主演はロバート・デ・ニーロ、他に娼婦役でジョディ・フォスター、ポン引きにハーベイ ・カイテルが出ている。題名の通りタクシードライバーが主人公であるのだが、主人公であるトラビス・ビックルはニューヨークでタクシーを運転しながらも、目標をもって生きている訳ではない。不眠症だからという理由でタクシードライバーを選択し、けっして ニューヨークという街が好きではないニモカカワラズ、この街を出ていかない。トラビスはアイリスという12歳の娼婦が偶然助けを求めたことから、この少女を助ける為に命を張るのだ。一歩間違えば、犯罪者になりかねない資質をもつトラビスは少女を救った おかげで一躍ヒーローになる。アイリスはポン引き野郎から離れることができたが、3人もの人間が死ぬのを目の当たりにするのである。彼女はこれからの長い人生をたった12歳の人間がしたこととは云え、引きずっていかねばならないのだろう。
トラビスはアイリスの両親からは感謝の手紙をもらうが、アイリスはどう感じたのだろう ・・・・・・・・・。

この映画はパルム・ドールを受賞したり数々の賞を獲得した。ニューヨークの街の映像 は今見ても、カッコいい。トラビスは共感できる人間じゃないかもしれないが、トラビス的な葛藤は僕等にもあるかもしれない・・・特に高校生ぐらいの僕には刺激的だった。 こう書いていて、何かざわざわと気持ちがしてくるのはなんなのだろう。この映画を30代に初めて観ていたらまた印象は変わったのだろうか・・・・・。


【増田達也:ますだ たつや】1964年10月生まれ。佛教大学時代は放送局に所属。イラスト・グラフィックデザイナーとして活躍し、99年独立。ノクターン・クラブのコア・メンバーとして主にWebサイトのデザインを担当する。音楽・映画に詳しく、作品に対してイーヴンな評価を与えられるアーティスト。後述の「画面ライダー」の作画担当。





『戦略的GUNKAKU』

▼景山太朗


戦略的GUNKAKU:02

山岸 海斗(7才)―3月8日―

ぼくは、1ヶ月前にこの街に引っ越してきた。
今住んでいる所は、前の家よりすごく 狭いし、犬も飼っちゃだめで、ミニチュアッダックのミニモケは、お父さんが自然に帰した。かわいそうだけど、お父さんが自然に帰したほうがミニモケのためだと言っ ていたし、引越し先には犬を食べてしまう人が住んでいるという噂も聞いたので、ぼ くもミニモケを自然に帰すことを賛成した。作業服を着た真面目そうなおじさんが、 ミニモケを自然へ連れて行ってくれた。その日は、学校の友達とお別れ会だったか ら、ミニモケを送ることは出来なかった。
ぼくのお母さんは、半年前の同窓会に行ってから、毎日の帰りが遅くなって、引越しをする頃になると、ぼくの晩御飯と朝の牛乳を届けに来る以外は、あんまり会えなく なった。ぼくのお父さんは、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいるのが辛そう だった。近所の人がぼくのお父さんはマスオさんだと教えてくれた。引越ししてか ら、お母さんはたまにぼくを食事に連れて行ってくれる。家に泊まることはない。ぼくはお母さんの子供なのに、お母さんはそれを何度も確かめる。前はぼくのコレク ションしているカードをバカにしてたけど、最近は嬉しそうに買ってくれる。「お母 さんは海斗の喜ぶ顔がみたいの」と言って笑っている。お父さんが言うには、お母さんは病気であんまり一緒にいられないということだった。ぼくは病気がうつるのが嫌だったから、お母さんの前であんまり息をしないようにした。
ぼくの新しい家の近くには、一人のおじさんが住んでいる。おじさんの住んでいるの は大きな道路の脇の建物と建物の間で、ダンボールを敷いていつもその上に寝てい る。髪の毛とヒゲがすごく長くて、前に図書室で見たガンジス河周辺に住む聖者に似ていた。たぶん修行中なのだ。ぼくはこのおじさんを観察することにした。

おじさん観察―3月16日―
おじさんの寝床に敷布団と掛け布団があった。敷布団の下にはダンボールが敷い てあり、足の部分が高くなるようにしてある。ぼくも今日寝るときは足を高くしてみよ うと思った。

おじさん観察―3月27日―
おじさんはプラスチックのコップと割り箸、ごま塩を持っている。これらはどこで手 に入れたのだろうか?

おじさん観察―4月13日―
なんと驚くことに、おじさんが2人に増えていた。修行の成果だろうか?おじさんの 謎は深まるばかりである。もしぼくが2人になったらお父さんは喜ぶだろうか?ぼく のお母さんとシンケンということでもめているらしい。

おじさん観察―4月16日―
テレビでおじさんに似た人たちが、ホームレスと呼ばれていた。家のない人という意 味らしいけど、テレビの中のおじさん達は犬も飼っている。ぼくの家では犬を飼うこ とは禁止されている。ミニモケは自然の中で元気にやっているのだろうか?

おじさん観察―5月1日―
おじさんは自転車も持っているみたいだ。おじさんの自転車のカゴには、コンパクト ディスクが飾られている。太陽を反射して七色に輝くCDはすごく綺麗だった。ぼくが そのCDを観察すると「ODNプロバイダー」と書いてあった。どんなアーティストなん だろう?

おじさん観察―5月18日―
2人のおじさんはいなくなった。修行が終わってガンジス河の聖者の仲間になったん だと思う。ぼくもがんばって生きていこう。


戦略的GUNKAKU:赤鼻毛のアン

赤い鼻毛の生えている少女アンは、思春期、真っ只中の十三歳。アンには一つの悩みがあった。
それというのは、クラスメイトから鼻毛の事でいじめられていることであ る。彼女の鼻毛は遺伝的なものであり、自分の鼻毛に誇りを持つ母親にはなかなか悩みを打ち明けられない。そんな彼女ではあったが、ある日鼻毛を黒く染める事を決意 した。(ビゲン男の白髪染め等を用意)

アン「ツンとする匂いがたまらないわ」 次の日の朝、アンの黒くなった鼻毛を見て母親は彼女を怒鳴りつける。
母「親からもらった大事な鼻毛を!」 逃げるようにして、家を出て学校に向かったアンに待ち受けていたのは、以前にもましてひどくなったいじめだった。どこにも自分の居場所がなくなったアンは、自分の部屋に閉じこもり、深く悩む。

アン「普通の女の子になりたい。この鼻毛さえなければ」 アンは自分の鼻毛を抜いた。
アン「これで私は普通の女の子になれたんだわ」 アンに訪れた久々の心地よい眠り。
次の日の朝、眠い目をこすりながら鏡をのぞくと、そこには抜いたはずの鼻毛がより 多くなった自分の姿が映っていた。激しく泣き叫ぶアン。鼻毛をむしって食べる。
アン「けっこういけるやん」
                                     完

この「赤鼻毛のアン」は、私が初めて書いた舞台用集団コントのプロットであり、そ して早速、ボツになった。
これを書いているとき私は何を考えていたのだろうか?あほすぎる。「もしやラリっていたのでは?」と、自分を疑いたくなる。自分の内向的な妄想世界に入りすぎている。
先輩の作家さんに、「とりあえず書け」と言われ、とりあえず書いたのがこれだった。今考えると、とりあえずにも程がある。舞台での場面転換なんてほとんど考えていないし、台本を制作するためのプロットのはずが、物語になっている。しかし、これを書き上げた当時の私は、いいものが書けたと酔いしれていた。「赤い鼻毛」が、アルコールのように血管中を駆け巡り、私の脳を侵していたのだ。「赤い鼻毛の少女、なんておもろいんや。これでうめだ花月はもろた」。 アホなことを真剣に考えなければならない職業柄、時にアホなことをアホに考えてしまっている自分に気付かないという落とし穴だった。
その後、「赤鼻毛のアン」の反省を踏まえ、何本かコントを書いた。そして、初めて 採用されたコントのタイトルは「ふかづめのアン(つめを深く切りすぎたアンは・・ ・)」である。
というのは嘘である。「初恋の人とは結ばれない」とよく言うが、 「赤鼻毛、ふかづめのアン」は改良を加え、いつか映像化してやる、と心に誓う私で あった。


【景山 太朗:かげやま たろう】1978年生まれ。鳥取出身。佛教大学時代は放送局に所属。今年から本格的に構成作家として始動、今後が期待される若手。ナンバ近辺に居を構えて、どっぷり大阪生活に浸かろうとしているようだ。

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■編集後記

今号は、「中年ロッカー」と「戦略的GUNKAKU」が2本立てである。
次号は区切りの20号と言うことで、何か企画を考えてみようかな?(何もやらないかもしれないけど)
そろそろ画面ライダーも再開しないとね。

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編集:柏原  誠 kashihara@nocturne-jp.com
    増田達也
  masuda@nocturne-jp.com
Copyright(c)1999 Ncturne Club
許可無く転載することを禁じます。

2001年11月21日 更新

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