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すっかり春です!桜が咲き乱れ、そして散っていく。やはり桜は美しいものです。花見には行けませんでしたが、車窓から見ても充分楽しめます。桜の木の下でどんちゃん騒ぎもよろしいが、一瞬のうちに脳裏に焼き付く桜もまたおつなものではありませんか。北海道ではまだまだ満開は先の話かもしれませんがね。ではすっかり、月の半ばに発刊するようになった「マイペンライでゴー!」をお楽しみください。

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画面ライダー連載中!画面ライダー連載中!画面ライダー連載中!   

「夕焼けイノキスト・宮脇まさはるのプロレス郷愁思考のすすめ」
          夕焼けよ、郷愁の空に泣け!・・・の巻       ▼宮脇正治


 ♪ 夕焼け小焼けで家に帰る道 小石をそっと蹴る明日も晴れる・・・昔 こんな流行歌があったっけ。私は、夕焼けが大好きだ。雑務に忙殺される現代人の日常、心身共に疲れ果て、心にポッカリ穴があく・・・そんな時、ふと朱い空気を感じて振り返ると、そこには目にも鮮やかな夕焼けがある。喧騒大都会の空が、いくら公害で汚れていようが、私達はこの神のワザを見ることができる。それは、原風景への回帰のひととき。
 夕焼けは、人を素直にさせる。そして、郷愁へといざなうのだ・・・。

 あれは、ひとり夕焼けの空き地で小石投げをしていた、幼年の日。水商売風のおネェさんが、傍らを通り過ぎざま、私に ニッ と微笑をなげた。瞬間、私はゾクッ ときてしまった。あの微笑は一体、何なんだろう・・・幼な心はその謎をつきとめようと、次の日も、その次の日も、私を小さな空き地へと向かわせた。
 何日か通ううち、おネェさんに会える時間帯がわかってきた。会えると言っても、私はひとり遊びの振りをして、気付かれぬよう横目でチラッと見るだけ。そうしたら、彼女もチラッとこちらを見るような気がする。謎の微笑はない。しかし私は、そういった刹那の快感(?)に取り憑かれ、来る日も来る日もその空き地へ、足を運んだのだ。
 そんなある日私は、叔母に連れられ、近所の銭湯へ行った。広い浴室へ入ると、たっぷりとした湯船には、なんとあのおネェさんがつかっていた。またも私は気付かれぬように、横目でチラチラ、ずっと彼女を盗み見ていた。当たり前だが、首から上だけが、空き地で見る彼女と同じだった。見てはいけないものを見てしまったような、不思議な気持ちになった。
 私が次の日から、空き地へ行かなくなったのは、解決すべき微笑の謎が、クライマックスを過ぎた夕焼けのように、色褪せたからであろう。

 夕焼けを眺めていると、妙にジ〜ンと懐かしい、胸がキュ〜ンとなるような、なんともいえない気持ちにさせられる。 と同時に、元気が込み上げてくるような、今悩んでいる事など大したことないよと言ってくれてるような、なんか勇気が湧いてくるような気持ちにもなれる。 夕焼けには、人を励ます力、立ち止っている背中をポンと叩いてくれる力が、確かにある。
 そう思うと、私は過去、夕焼けを見るために、大人の心の空き地=プロレス会場へ、わざわざ足を運んだのかもしれない。イノキが闘う姿、動く姿は私にとって、まさに夕焼けそのものだった。
 夕焼け(イノキ)が動く。1秒1秒変化する。最も真紅に美しく輝くのは、ほんのひととき。色がくすみかけ、雲(対戦相手)と滲みかける深紅の一瞬も、また見事。そして、夜の帳が降りてしまう(試合終了のゴングが打ち鳴らされる)寸前の、あの泣くような燃え方!!
 夕焼けも、イノキも、何かしら忘れかけたものを思い出させてくれる。それは素直さ。一生懸命さ。ある時は必死さ。失敗しても倒されても、なりふりかまわずガムシャラに、立ち上がって相手に向かっていく。あるいは自分と闘う。 カッコ悪くてもいいじゃないか。結局、人はそれなんだよ、と言ってくれる。笑顔で、肩を叩いてくれる・・・・・。

 そして、イノキの動きには、常に大きく濃い影がつきまとう。その影が謎となり、私達を惹きつける。
 夕焼け熱い黄昏どき。それは、人々の影が最も長くなるときでもある。
 そうだ。
 人はみんな、自分の影を引きずって、生きているのだ。 長く重たい影を引きずりながらも、さあみんな・・・明日も元気に歩いてゆこうー!


【宮脇正治:みやわき まさはる】アントニオ猪木がデビューした昭和35年10月、大阪に生まれる。熱烈なファンだった祖父の影響で、8歳でプロレスと出会い、中学1年にして“イノキ体験”。佛大時代、放送局に所属する傍ら、同志らとプロレス研究会を設立、機関誌『ザ・リングサイド』を発行。学園祭では、当時のザ・アマチュアプロレスJWAを招聘し、華々しく大会開催。それを機にリングアナとしてJWA入り。現在、プロスタイルレスリングJWA関西事務局スタッフ。

 


「Fomura1〜大地を翔ける秒速の戦士たち〜」
                                    ▼柏原 誠


 このマガジンの発行が1ヶ月に1回ペースになってるウチに、ついにF1サーカスは第3ラウンドを消化した。第1戦オーストラリア、第2戦ブラジル、そして第3戦サンマリノのウィナーが全てフェラーリ、しかもシューマッハとは、一体誰が想像したであろう。
かくいう僕はフェラーリびいきなのだが、それにしてもこの成績は出来すぎの感がある。3連覇も可能だった王者マクラーレンはどうなのかというと、第1戦・2戦ともにマシントラブルによるリタイア。しかも2戦とも予選グリッドではポールポジションなのに、である。だからシューマッハにとってまともに戦って勝利をもぎ取ったのは今回のサンマリノが最初となる。フェラーリの母国イタリアで、しかも昨年のチャンピオンに競り勝ったという面を見ても、今回のフェラーリは、ひょっとしたらひょっとしそうである。

さて今回は、そのシューマッハの「勝ちっぷり」について書いてみたい。
シューマッハはベネトン時代にワールドチャンプになったのだが、時代に呼応してひとつの重要なレギュレーション変更がある。それは「レース中の給油」・・・。94年に導入されたこのルールはもともと「順位がコロコロ入れ替わった方がレースはオモロイ」というFIAの結論から導入された、半ば強引なルールだ。レースの距離はどのGPも大体300km(1時間30分ていどでレースが終わるよう組まれているらしい)を走るのだが、最初からフルタンクだとマシンが重くなり、思うようなレースにならない事がある。そこで自分たちのチームの勝負どころを予め見越して、スタート時に積むガソリンの量をコントロールするワケ。結果としてこの量がレース中何回給油するかを決めることになる。燃費の良いコースなら1ストップ、高低差の激しいコースなら3ストップなんてのもある。フルタンクの場合、レースの中盤から後半に勝負どころをもってゆくパターン。2または3ストップなら序盤に上位をキープするパターンと言っても良いと思う。この各チームが立てる「ピット戦略」に長けているのがシューマッハなのだ。彼ひとりではなく、ベネトン時代から彼の参謀を努めるロス・ブラウンと言い換えても良いだろう。ベネトン時代からこのピット戦略を変幻自在に組むという面で、シューマッハはめっぽう強かった。

9日のサンマリノでもシューマッハの「勝ちパターン」であった。ポールはハッキネンに奪われたものの、終始1秒から1秒9程度の間隔で後を追い、ピットに入るやいなやものすごいスピードで給油とタイヤ交換をしてしまう。そして相手がピットインするとコースレコードを連発して2秒前後の差を詰めてしまうのだ。
セナのアグレッシブな走りに比べるとシューマッハはクレバーな走りとなるのだろう。しかし、戦略が仮に失敗したとしても彼は勝てるドライバーだと思う。何よりレース中のタイムの安定度が彼の実力を如実に物語っている。コースレコードをいつでも出せるぞという、技術に裏付けられた余裕が、この戦略を成功させているように思う。
さあ、もうすぐモナコGPだ。1戦ごとの結果はゲストフックに書きこみますので、併せてお読み頂けるとこれ幸い・・・・。


【柏原   誠:かしはらまこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。

 


■『STARWARS SAGA GOES ON』...VOL.8
                                    ▼重藤貴志


前回から『STARWARS SAGA』の魅力的な登場人物を紹介してゆくことになったのだが、第一回にお届けしたルーク・スカイウォーカーについてはいかがだったであろうか。知っているようで知らないことが数多くあったはずである。今回もそうなるだろう。今回、紹介するのは、彼の双児の妹、プリンセス・レイアと呼ばれるあの女性である。

プリンセスの敬称で有名なレイアは、兄であるルーク・スカイウォーカーとは別々に、銀河の理想郷と呼ばれた平和な惑星アルデラーンのベイル・オーガナに預けられた。その理由は定かではないが、おそらくオビ=ワン・ケノビがクローン大戦を共に戦い、信頼出来る友人と判断した男に、スカイウォーカーの血統を依託したのではないか。事実、ベイル・オーガナはその一生を終えるまで、レイアを実の娘のように慈しんだ。彼の人生は惑星アルデラーンがデス・スターによって破壊されると同時に終わったが、それすら、レイアをを引き取ったときから、いつか確信していたのではないだろうか。

さて、彼女はアルデラーン星系を統治する総督筆頭議長ベイル・オーガナの娘として、噂好きな三人の叔母たちに上流階級としてのマナーを教育され、大切に養育された。
親友ウィンターと共に、持ち前の政治的才能を開花させるまで時間はかからなかった。彼女自身、自分が受け継いだ類い稀なる才能と遺伝的形質の真価を自覚することなく、日々は過ぎ、成長していく。やがて彼女は史上最年少の共和国元老院議員に当選した。共和国を我が手にと企むパルパティンの野望に危惧を抱いた父ベイル・オーガナは、密かに対パルパティン運動へと手を貸し、レイアも自然とその運動へと傾倒してゆく。
時は経ち、パルパティンは完全に実権を掌握し、皇帝を名乗り、銀河帝国を建国する。対パルパティン運動は「同盟軍」となり、その戦いは銀河全域へと拡大されていった。

そして帝国の秘密兵器デス・スターの設計図を奪取する「スカイフック作戦」である。レイアは自らこの作戦の陣頭指揮を取り、見事に帝国軍から設計図を奪取するのだが、外交艦《タンティヴィIV》で同盟軍基地へ逃走する途中、惑星タトゥーイン軌道上で、ダース・ヴェイダー卿の指揮するスター・デストロイヤー《デヴァイスター》により拿捕された。彼女は父ベイル・オーガナに聞いたベン・ケノビに助けを求めるため、R2-D2にメッセージとデス・スターの設計図を託し、惑星タトゥーインへ脱出させる。
そう、これが『EPISODE.4 -A NEW HOPE-』の冒頭シーンへとつながってゆくのである。あまりにも壮大な『STARWARS SAGA』は、ここから始まったといっても過言ではない。後に、彼女は戦いを共にしたハン・ソロと結婚し、レイア・オーガナ・ソロとなる。彼女が産んだ3人の子供の名は、ジェイナ、ジェイセン、そしてアナキンと云う……。


【重藤貴志:しげとう たかし】1975年3月生まれ。東京出身。DJをめざし放送局に入る。卒業後FM京都のADなどの放送現場を経験。音楽・芸術に造詣が深い成長株のクリエーター。佛大時代に同期だった小林寛幸と共に次世代メディアであるインターネット放送局「N−mix」を設立・運営する。

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Internet Voice Station "N-mix"
http://www.n-mix.com/

Before The World's End - Tell A Lie -
http://www.n-mix.com/absolutezero/index.html
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■『世紀末映画考』 No.008
                                    ▼増田達也


 ゴールデン・ラズベリー賞というものを皆さんはご存じだろうか。どっかで聞いたことがあるなあと思う方はいても、詳細はなかなか知らない人が多いのでは無いだろうか。今回はこのゴールデン・ラズベリー賞について語って行きたいと思う。

 まず最初に断っておくが、この僕もこの賞についてはそんなに詳しいわけでは無いということです!じゃあ書きなさんな、というお叱りの声も聞こえてきそうだが、あえて今回取り上げることにしたのはリクエストには迅速に答えたいという考えからなのだ。そう数少ないゲストブックにラズベリー賞をとりあげてくれという要望があったので私はここにキーボードを叩く決意をしたのです!月1発行という性質上、次号にまわすと鮮度が失われるから・・・とさんざん言い訳がましくなってきたので本題に入ります。

 ゴールデン・ラズベリー賞とは、アカデミー賞の前日にその年の最低の映画及び映画関係者に贈られる、とても不名誉な賞だ。今年の式典は3月25日にカリフォルニア州サンタモニカで第20回を迎えた。主な受賞作品と受賞者は以下の通り。

最低映画賞>>>>>「ワイルド・ワイルド・ウエスト
最低主演男優賞>>>>アダム・サンドラービッグ・ダディー
最低主演女優賞>>>>ヘザー・ドノヒューブレア・ウィッチ・プロジェクト
最低助演男優賞>>>>ジャー・ジャー・ビンクス「スター・ウォーズ・エピソード1」
最低助演女優賞>>>>デニース・リチャーズ「ワールド・ノット・イナフ」
最低監督賞>>>>>>バリー・ソネンフィールド「ワイルド・ワイルド・ウエスト」
最低脚本賞>>>>>「ワイルド・ワイルド・ウエスト
20世紀最低最低男優賞>>シルベスター・スタローン
20世紀最低最低男優賞>>マドンナ
90年代最低映画賞>>>「ショーガール

 ざっとこんな感じであるが、他にもいろいろと賞がある。詳しく知りたい方はゴールデン・ラズベリー賞のウェブ・サイト(ただし英語)があるので調べてみては如何だろう。
 □Welcome to the Razzies! http://www.razzies.com/

今回は2000年ということで、20世紀最低〜〜という賞が授与されたようだ。しかしこんな賞をもらった方はえらい迷惑である。もちろん本人が授賞式に出席するはずもない。(過去には出席した大物もいたようだが)
まあこの賞自体本気で最低映画を選定してるわけじゃなし、たぶんに大作やヒット作に対する批評的要素が高いようだ。それに本気で最低映画を選定しようにも、そんな映画を観る方が大変である。今回の受賞者はそんなものかと思う節もあるが、過去を遡るとなぜこの作品が、どうしてこの俳優がと驚くやら憤慨するやらのゴールデン・ラズベリー賞なのである。もっと深く掘り下げたい題材ではあるのだが、スペースが尽きたのでまたの機会にまわすということで、サヨウナラ!


■今回のMASUDAのおすすめ映画(レンタルビデオ)は、「マーズ・アタック」です!
 ・・・アホらしくて笑えます。


【増田達也:ますだ たつや】1964年10月生まれ。佛教大学時代は放送局に所属。イラスト・グラフィックデザイナーとして活躍し、99年独立。ノクターン・クラブのコア・メンバーとして主にWebサイトのデザインを担当する。音楽・映画に詳しく、作品に対してイーヴンな評価を与えられるアーティスト。後述の「画面ライダー」の作画担当。

 


「中年ロッカーの逆襲」
              〜マイ・フェイヴァリット・アーティスト〜           ▼Kei



 「一番好きなミュージシャンは?」と聞かれたら、あなたは何と答えるか。実は僕にとって、一番困る質問がこれなのである。
 好きなミュージシャンやバンド名は、次から次へといくつでも出てくる。オリジナルアルバムのほとんどを集めているバンドもいくつかある。でも、「一番」と聞かれると、その中からたった一つを選ぶのはかなり困難ななのである。
 最初に買ったロックのアルバムは、ストーンズの「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」。それからは、ボブ・ディラン、フー、キンクスなどを経て、パンク・ロックと出会う。さらにパンクの余波から生まれ出た、ニュー・ウェーブはかなり聴いた。クラッシュ、ポリス、ジャム、スージー&バンシーズ、XTC、キュアー、エコー&バニーメン、スミス、REM・・・・etc. 数え上げればきりがない。
 その中でたった一つと聞かれても困るのだ。なぜなら、どれを聴いても、それぞれの良さがあり、どちらかを選ぶことは難しいし、そのときの気分によって、聴きたい音も違ってくる。もともと、あるバンドを他のバンドと比べて「こっちの方がいいかなー」などと考えながら聴いてきたわけでもない。ストーンズはストーンズで、あのリズムのよたり具合がたまらんわけだし、ジャムはジャムで性急なビートだからいいのだ。だから、何度も言うが、「どれか一つを」と言われても、選ぶことはできないのだ。
 けれど、それじゃあいかにも無節操なので、自分好みの傾向について分析すると、
1.鋭いカッティング・ギター。もしくはメロディアスでリズミカルなフレーズのギター。
2.ギターの音色は、硬めで歯切れよく、やや歪み。もしくは、ファズでギンギンに歪ませたもの。
3.歌のメロディーは、単純すぎずこり過ぎず。もろブルース、もろR&Rという「モロ」路線よりは、「少し匂いがしますなぁ」という程度がよい。覚えやすいメロディーであること。そして何よりも「歌優先」。
4.頑固者、不良っぽさが感じられること。特に歌詞。
5.ベースラインがメロディアスであること。
6.ドラムはタイトか爆発かどちらか。
  以上の好みを具体的に表すとどうなるのか。そうだ一つは無理だから、10グループ(人)選んで良いことにしよう。この世からあの世へ行くのに、CDを10枚しか持って行けないという設定にしよう。マイ・フェイバリット・ミュージシャン10選は以下である。

1.THE・WHO:何と言ってもこれでしょう。キース・ムーンの爆発ドラム、ジョン・エントウィッスルのエンジンベース、ピートのカッティングギター、そして歌メロも歌詞もアルバムコンセプトも全てがいい。なんか文句ある?
2.XTC:ポップ、そしてダンサブルドラム。アヴァンギャルドな味付け。ギター重視のサウンドも○。最近のクラシックぽいのもいい。
3.THE・JAM:スタ・カンであれだけのメロディーを創る才能がありながら、あえてノリノリのビートロックに仕上げた硬骨さ。ジャズやR&Bに影響を受けても1枚目から6枚目まで変わらぬギターサウンド、リフっぽいベースとタイトなドラム。ビートロックの最高峰。
4.エルヴィス・コステロ:なんで、こんなメロディーが書けるのか。ビッグネームになってもバンドサウンドにこだわってるところがいい。何よりもメロディー。ビートルズと並ぶ作曲の天才。
5.ポリス:なんでこいつらがパンク・ニューウェーブの中にいたのか。詐欺だ。と言いたくなるぐらい、テクニックがすごい。にもかかわらず、マニアックな世界に走らないセンスのよさ。
6.スミス:正直言って、モリッシーのボーカルは好きじゃない。でもジョニー・マーのギターだけでおつりがくる。ジョニーはぼくにとっての最高のギタリスト。
7.エコー&バニーメン:このバンドは雰囲気とビート。ドラムが爆発しているのがいい。
8.ローリング・ストーンズ:最初に聴いたロックバンドだからね。今流行の「グルーブ感」の元祖。でも好きなのは、ロンドンレコード、EMIレコード時代まで。
9.クラッシュ:パンクはピストルズよりクラッシュの方が好き。クラッシュの方がきれいな感じがするからかな。音にバリエーションがある方が好き。一曲よりトータルで聴くからかな。
10.うーん、やっぱりビートルズは外せないかな。
というわけで、今回はぼくの好きなミュージシャンでした。


【Kei:本名 坂本桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。

 


「ありふれた現実よりも……」
                                     ▼二十日鼠



 以前、ニューヨークで暮らしていたとき、僕は英語学校へ通うために毎朝のように地下鉄を使っていた。僕の住んでいた場所から最も近い地下鉄の駅は「86thストリート」という駅で、駅の階段を降りたところには、いつも小銭がたくさん入った紙コップをじゃらじゃら鳴らしているホームレスの男がいて、僕は地下鉄に乗るたびに彼と顔を合わせていた。はじめはどちらも互いの存在を意識していなかったが、一ヶ月か二ヶ月くらい経った頃から何となく「Hello」と挨拶をするようになり、そのうちに「今日は雪が降るらしい(その当時は冬だった)」とか「どこそこのストリートでパレードがある」などの簡単な会話を交わすようになった。
 そのようにして時は流れ、やがて僕が日本へ帰国する日が近付いた。日本へ持ってかえる物をスーツケースの中に詰め、持ってかえらない物を捨てたり他人にあげたりして帰国の準備を進めていると、1セント硬貨が一杯に詰まったジュースの空き瓶が、まるで捨てられた仔犬のように部屋の隅に残されたままになっていた。あまり使い道のない1セント硬貨を「一円玉募金」のようにジュースの空き瓶に入れて意味もなく貯めたものだった。翌日、僕は86thストリート駅へ足を向けて、ホームレスの男に1セントの詰まったジュース瓶を差し出した。彼の自尊心を傷付けたくはなかったので、僕は言葉を選びながら「日本へ戻る自分にはもう必要のないものだから良かったら使ってほしい」と言った。
 彼は少しのあいだその瓶を眺めたあとで「俺は乞食ではないから、赤の他人から金を恵んでもらうつもりはない」と英語の不得手な僕にもわかるようゆっくりと言った。
そのあとで僕の手からジュースの瓶を受け取ると「でも、お前のその気持ちは本当に嬉しい。だから金をもらう代わりに俺の火を売ってやろう」というようなこと(前述したように僕は英語が不得手なのではっきりとそう言ったのかどうかは確信できない)を言って、懐からライターを取り出すと僕へ向かって火を差し出した。彼は毎朝煙草をくわえながら歩く僕の姿を見て、僕が煙草を喫う人間だということを知っていたのだろう。そのようにして僕と彼はふたりで煙草を喫い、本当に簡単な別れの言葉だけを交わして別れた。
 僕はそのときのことを何度も小説として書いてみようと考えたが、元々が小説の中で起きたような出来事だったので、未だに書くことができずにいる。ありふれた現実をフィクショナイズするよりも、ドラマティックな現実をフィクショナイズする方が遙かに難しいのだ。


【二十日鼠:はつかねずみ】性別、経歴、ともに不詳。ネット上で自作の小説を発表しながら細々と暮らしている。

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熱帯夜 - A Midsummer Night - 
http://user3.allnet.ne.jp/20dayrat/
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「主婦流ガンプラ爆走道」
                〜プラモキットを選ぶ〜          ▼北川こころ


ガンプラキットを自分で起こして作るという人もいるが、私はもっぱら買って作ることにしている。
昔のものはいざ知らず、今発売されているものに関しては、そのまま組み上げるだけでも本当にバランスもディテールもよくできているからだ。
だが、その選択を誤っては自分でも執心できない原因となり、結果満足のいかないできばえとなる。「選ぶ」ということは私の中ではかなり大きなウェイトを占めることであるのだ。

まず、ショップに向かう。その際、私は少しばかりオシャレをしていくことにしている。私のよく行くショップは品揃えがスバラシイ故に、マニアのお客様が多い。私もマニアではあるのだが、他のマニアとは一線を画したいと願っているからだ。そして、おもむろにガンプラコーナーへ向かう。他の客をかいくぐり、まずは自分の好きなキャラクターが搭乗しているキット、そしてデザインが好きなキット、色目の好きなキットを順に見ていく。めぼしいものを見つけたら、箱を開け、説明書を覗き、キットの具合を見る。

キットに色は乗りやすそうか。継ぎ目は目立たないような作りになっているか。色の塗り分けは複雑ではないか。オリジナルのカラーはどうなっているか?ここで全てのプランを練らなければならない。キットを選べば、そのままカラー売り場に移動して、不足しているカラーや、修正が必要なら修正のための材料も購入せなばならないからだ。このショップでのこのわずかな時間に、ガンプラのできばえは8割決定すると言っても過言ではないのだ!

そして隙を見て、主人が何を作ろうとしているか、娘がベビーカーの上で商品に手を出していないか、も牽制せなばならない。主人とキットがカブると思わぬ夫婦げんかに発展することもよくあることなのだ。しかもこの喧嘩は恐らく誰にも理解されないが、本人同士はかなりの本気のものなのだ。これが原因で離婚となり、娘がその原因を知る日のことを思い涙が溢れる。

そういうわけで何とか家路につけば、そこはガンプラ工房と化しているリビングルーム。
娘は体よく寝かしつけられ、夫婦揃って自分の工具箱を持ってテーブルにつくのである。


【北川こころ:きたがわこころ】1974年生まれ。日本大学芸術学部卒業後、出版広告業に職を得る。出産を機にフリーとなり、雑誌への原稿を執筆する傍ら、密かな趣味として「ガンプラ」に熱中。その作品は神奈川県十日市場駅前MEDIA POLICEさんに展示中。現在は「読み物系HP〜君もサボテンになってみないか?」と「CHAT WIRED」の運営管理にも励む。

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君もサボテンになってみないか?
http://www.angel.ne.jp/~kitagawa/

CHAT WIRED -2nd Eddition -
http://srv101.virtualave.net/
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「特別寄稿〜運命の600フレーム〜その1」
                                    ▼
かしはらまこと


 

3月6日、僕はある人と一緒だった。その人は名塩 忠士。本業は池坊短期大学の先生である。KBS時代修と共にラジオ番組「和泉修のひまじん倶楽部」のパーソナリティとして出演して頂いていた。それ以来の関係である。

名塩センセ(敬意を込めてこう書かせて頂く。)と僕が向かっていたのは東大阪にある「ロードボウル」というボウリング場。3月7日から年に1回開催される「日本プロボウリング協会」主催のプロテスト会場である。6日のこの日はボール検量なのだ。

簡単にプロテストの概要についてお伝えしよう。ボウリングをした事のある方ならお分かりと思うが、4日間で大阪の指定されたボウリング場で合計60ゲームをプレーし、最終的にアベレージが195点以上あれば一次合格となる。そして二次は東京で2日、大阪で1日同じテストが行われ、それにパスし面接を受けて合格すれば、晴れて「プロボウラー」となれるのである。

名塩センセはこのプロテストに今年で5回目の挑戦となる。キッカケは修が32歳、つまり今から5年前にプロボクサーとして最後の試合を行った事に感動し、「ワシもなんかやる!」と言ってこのチャレンジが始まったのだ。ちなみにセンセは修の同志社大の後輩であり、修の相方、清水圭さんの同級生である。つまり僕の同級生が修で、センセの同級生が圭さんなワケだ。

さて、「60ゲームでアベ195以上」というスコアに、読者の皆さんはどのようなお感じになられたであろうか。僕はボウリングは超ヘタクソなので、こんなスコアは絶対ムリやと思っているが、ちょっと上手い人なら「練習したらなんとかなるかも・・・」と思われたのでは無いだろうか。だとしたら答えはNo。名塩センセは京都府ランキングで4位の腕を持つ人なのだ。その人の腕をもってしても5年間チャレンジしなければならない「プロテスト」は、じゃあ一体何が難しいのか?

レーンは通常、木で出来ているが、最近アルミのものも出てきているそうだ。そしてレーンのメンテナンスにはオイルが引かれる。この「オイル」の引かれ方によってボールの動きはかなり変わる。つまりプロテストで試されるのは「どのようなレーンコンディション(オイルが引かれた状態)であっても195アベが出せる」という事をテストしているのである。

オイルは通常トップピン(1番ピン)の数フィート手前まで引かれるらしいが、オイルの厚さや故意に塗らないところもあったりする。(これを「レーンを作る」と言うらしい。)右利きの人が普通にボールを投げるとき、2番スパット(レーンにポイントされているマーク。右から1番。)を狙うと大体ストライクが出ると言われる。ところがプロテストではこの2番スパット付近の板目(スパットは5枚単位でポイントされている)何枚分右か左かという、ものすごい微妙なコントロールが要求されるのだ。

更に言えば、ゲームを消化するごとにプレーヤーの投げたボールによってオイルはどんどんピン方向に伸ばされてゆく。つまりオイルが全く乗っていない板もあるのだ。この場合ボールが板に食いつくようになるので予想以上に曲がってしまったりする。プロテストは1ゲームごとにレーンを移動するから、15ゲーム目なんになると最初のレーンとは随分違うレーンコンディションになってしまう。刻々と変化するレーンコンディションにどういったボールを使うか。こういう理由でオイルに強いボールや曲がるボールをプレーヤーは使うのである。ボール検量はこういった目的で一定の範囲内で作られているかをチェックするためにあるのだ。

さて、次号ではプロテストで繰り広げられる4日間のドラマを書いてみたいと思う。乞うご期待!


【柏原   誠:かしはらまこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。

 



 

■編集後記

春です。新入生・新人の季節・・・なんて辺り障りのない事を言うてますが、
我らノクターン・クラブはウルトラ
多忙の時期。この時期は契約サイトの更新が
相次ぎ、そればかりでなく不肖かしはらは和泉修の舞台「キンバラジロー」

手伝いと共に、出演している中田ナオキのソロイベントも手伝うという有様。
(ちなみに4/29 16:30〜ワッハ上方 Fee2,500
でーす)
そんな中でもひとりでも多くの読者に読んで頂こうと、編集長Masの不眠不休
の努力で仕上がった第8号でございます。

 

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編集:柏原 誠 mailto:kashihara@nocturne-jp.com
    増田達也 mailto:masuda@nocturne-jp.com
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