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第4号 (1503 バイト)


1999年もあと1ヶ月!ミレニアムだの、カウントダウンだの、Y2K問題だのいろいろありますが、とりあえずマイペンライを読んでリラックスしてこの1ヶ月間を過ごして下さい。
第4号ということは、次号は第5号ですね。年内になんとか出したいと思いますので、楽しみにしていなくてもお楽しみに!では、ご覧あれ!

画面ライダー連載中!画面ライダー連載中!画面ライダー連載中!   


「夕焼けイノキスト・宮脇まさはるのプロレス郷愁思考のすすめ」
          とてつもなく暗い影・・・・の巻    ▼宮脇正治


 去る10月11日、東京ドーム、小川対橋本。異常な注目を集めた試合は、小川の圧倒的勝利だった。プロレスでは試合内容や結果を評するとき、多様な背景を絡めて語るのが本来だが、今回“影を描くプロレス”というテーマに絞り込む便宜上、割愛する部分が多いことをご了承頂きたい。
 小川と橋本。パワー、スピード、テクニック、破壊力。全て最高レベルに達した巨体同士の真っ向勝負は、ほぼ一方的な小川ペース。壮絶なパンチ、蹴り、投げ。目を覆いたくなる凄惨な場面の連続で、橋本はKOされた。その凄まじさたるや、プロレスの技は本当に効くのか、という世間の問いに対して、この一戦こそ解答です、と言えるほど、プロレスラーの破壊力と受けの水準の高さを見せつけた内容だった。
 しかし・・私はこの一戦を、もう一度ビデオで観てみたいとは思わない。カードの意義も内容も、確実にプロレス史に残る大試合。だが、心の中で膨らんでいくものがない。全て観せてしまっているからである。影を描くどころか、光ばかりが目に入ってしまい、眩しくてしようがないのだ。
 思うに昨今のプロレスは観せすぎ。想像力を掻きたてる工夫が少ない。
 ところで、デスマッチのひとつに「釘板マッチ」がある。5寸釘が突き出た畳大の板を、リング下にびっしり敷き詰めるのだから、落ちたら重傷、へたすると・・という試合形式だ。実は約25年も前、猪木がこれを行ったことがある。悪党・上田馬之助が、遺恨の標的・猪木に釘板マッチを執拗に迫り、遂に日本武道舘で日本マット初の釘板デスマッチが実現。上から落ちてくる肉塊を串刺しにすることだけを目的に垂直に突き出た、尖った5寸釘が無数に整然と光り並んでいる様は、何とも恐ろしかった。
 そして、それは実にスリリングな展開だった。意地でも猪木を下へ突き落とそうとする上田。あくまでもリング上で決着をつけようとする猪木。猪木がコーナーに追い詰められ、上田の体当たりで頭から釘板へ突っ込み落ちたかに見えたが、足一本ロープに引っ掛け命拾いした場面などは、もう心臓が止まる思いだった。そんなふうに影を描きながら猪木、最後は腕折り技を極め、上田をマットに沈めた。猪木は、最後まで落ちないことによって、観客の恐怖と好奇心を、試合後にも生き延ばせた。
 それがこの頃、この手のデスマッチでは、落ちるのだ。これも時代の流れか。落ちたレスラーの怪我は、幸い予想を上回らないようだが。
 またも古い話だが、猪木対アリ戦は、非常に強い求心力を持った一戦だった。猪木はアリにパンチを打たせない、アリは猪木に技を掛けさせない・・互いが互いを封じ込めるほど、現出しない彼等の真剣の斬れ味が、イメージの中で際立った。寸分の隙をも見せない剣豪同士の睨み合いは、観る者の手に汗握らせ、不思議な世界へ引き込んでいった。
 何かを表現するため、猪木画伯はまず、徹底的に輪郭をなぞる。そして丁寧に影をつけてゆく。幾重にも、幾重にも。
 極端に絡みの少なかったアリ戦とは逆に、積極的に絡んでいったのがウイリー戦。空手最強の男の蹴りが、刃物の切っ先となり空を斬る。あるいは猪木の肉をかすめる。想像が膨らむ。襲いかかる相手を見据え、一定の距離を保ちつつロープ伝いに後ずさりしていく猪木の険しい動きは、この闘いの輪郭を描いていた。息つく間もない展開、目にも止らぬ素早い仕掛けと防御。スピードと迫力。肉は斬れかかるが、骨まで斬れない・・異様な緊迫感と、絶頂寸前で浮き沈みする独特の盛り上がりが、場内に影を落とす。その影のもと、ウイリーの打撃の凄さと猪木の関節技の怖さは、光った。求心力と遠心力の対照が、実に鮮やかな一戦だった。
 影を描く・・このテーマ、深遠すぎて語り尽くせない。だが言えることは、光を光以上に光らせるのは、とてつもなく暗い影、ということだ。


【宮脇正治:みやわき まさはる】1960年10月生まれ。佛教大学で放送局とプロレス研究会に所属。プロスタイルレスリングJWA関西事務局スタッフ。プロレスファン歴30余年。


「〜いのちのエネルギー「気」の不思議〜」
                                    ▼柏原 誠


さて今回は僕が5年ほど学んでいる「気」の世界、西野流呼吸法について・・・・・。
震災や自身の故障がキッカケとなり、気の世界を知った僕であるが、そもそものキッカケは独り暮しをしていた「京都時代」に遡る。
「何もかも上手くいかない」「思い通りにならない」時代というのは、ひょっとして誰にでも訪れることなのではないだろうか。僕の場合25歳から30歳ぐらいまでは、まさにその時代だったような気がする。しかしそれをただ漠然と「運命」という2文字で片付けるのもけったくそ悪い・・そんな思いだった。「同じ人間なのに、なぜそういう差が出るのだろうか?」「どうして思い通りの人生を送れないのだろうか?」こんな思いは若さも手伝って、どうしても「自分以外」に責任をぶつけてしまう・・・。

しかし・・ちょっと待てよ?・・・ひょっとして自分のどこかに原因があるのではないか?・・。そう考えたのが大阪に帰る頃だったと思う。漠然とではあるが、自分の内面に原因があるのでは無いかという問いに、明快な答えを出してくれたキッカケが大震災と自分の故障とは、とても皮肉な話だが・・。

西野流呼吸法は言うまでもなく「呼吸法」である。あまり難しいことを書いても仕方ないので簡単に言うと、「人体の60兆の細胞すべてに有効な酸素を送り、細胞レベルで人体を活性化する呼吸法」とでも言えばいいだろうか(間違ってたら西野先生に怒られるなぁ)結果としてカラダ全体が活き活きと活動するので、僕の場合ひどい腰痛が3ヶ月で治った事と五感が鋭くなった。味覚や嗅覚などは以前より特に鋭くなったように思う。
人間本来が持つ「能力」が元に戻っただけなのかも知れないが、逆に言えばそれだけ現代社会は人間にストレスを感じさせるメカニズムだと言う事ではないだろうか。

西野流で学んだもうひとつの変化・・それは「気」を出すには「緩める」ということ。イメージ的に集中したり、念じたりすることが「気」を出すのだと思っていたから、これはもう、自分の中のコペルニクス的展開であった。「緩める」と「捻る」。カラダがリラックスした状態を感じてゆく稽古・・・それは僕にとってとても新鮮で、新しい発見であった。

当たり前の事かも知れないが、「健全な精神」と「健全な肉体」はやはり同一のものなのだと思う。心の病気について最近よく話題になるが、カラダ本来の能力については日本の医療は相変わらず西洋的だと思う。「気」は今でも具体的な説明が難しい、怪しいものと見られがちだ。しかし人間を動かすエネルギーとして存在することは否定できない。それを証拠に「気」というコトバは人のコンディションをあらわすのによく使われるではないか!「元気」「本気」「陽気」「短気」・・・古来から知られていたエネルギーなのだ。

さて次回は「気」と「芸能人」の関わりについて一席・・・


【柏原   誠:かしはらまこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。

 


■『STARWARS SAGA GOES ON』...VOL.4
                                    ▼重藤貴志


前回から引き続き、今回も《JEDI》について解説してゆくことにしよう。

前回は《JEDI》の定義を簡単に綴った訳だが、その復習をしておくと、

《JEDI》とは、
銀河を結合する不可思議な力である《FORCE》を感じることで真理を探究する、種族を超えた哲学的集団であり、《FORCE》によって保たれる銀河系の恒久的な平和を願い、自らが平和の番人となることにより、理想を実現しようとした《銀河共和国(Galactic Republic)》の守護者である。これが、《JEDI Order》、日本語で云う《ジェダイ騎士団》...である。

思い出していただけたであろうか。
さて、今回からは、その《ジェダイ騎士団》の敵について解説していこう。

そもそも、《JEDI》とは、柔軟な思考力と鋭い直感力、強靱な肉体と反射神経を持ち、幼い頃からの過酷な修行により、それが極限まで高められた高潔な騎士である。《FORCE》と、ライトセイバーを自在に操る超人的な戦士たる彼等は、至近距離からのブラスターの光弾でさえも平然と跳ね返し、特殊合金でコーティングされた戦艦の外殻でさえも一閃することが出来る...とは、
前回の解説で書いた通りなのだが、ここまでの記述だけをピックアップすると、彼等に敵対出来る者など、広い銀河系には存在しないかのように思われる。

しかし、銀河系に住む種族のなかには、《FORCE》の影響を受けにくい種族も存在する。例えば、『EPISODE.1 -THE PHANTOM MENACE-』において、アナキン少年と彼の母を奴隷として使役していたワトーの種族であるトイダリアン、かの種族は、《FORCE》による影響を全く受けないことが解っている。
クァイ=ガン=ジンの精神操作を一切、受け付けなかったのは、そのためである。他にも、惑星マークルに棲息するイサラミリは、《FORCE》を無力化する力場を作り出すことが知られているが、これらは数少ない例外だと云っていいだろう。
その理由は、『STARWARS SAGA GOES ON』VOL.2にも書いたことだが、《FORCE》とは、全生命体が発する正体不明のエネルギーであり、全ての生命体は、何らかの形で、その影響を受けているからである。

トイダリアンにしろ、イサラミリにしろ、銀河系に数多く存在している訳ではなく、また《ジェダイ騎士団》に、敵対する行動をとることは少ないため、そんなに脅威ではない。
彼等を利用して悪事を働く種族や海賊たちもいるにはいるが、超人的な戦士たちである《ジェダイ騎士団》にとっては、ものの数ではない。

それでは、真の脅威とは、いったい何だろう?
次回は、《ジェダイ騎士団》に対する真の脅威について、語ってみたい。

去る11月20日に発売された小説「スターウォーズ - 未来への展望- 」上下巻を読みつつ、今回はお別れです。

フォースとともにあらんことを。


【重藤貴志:しげとう たかし】1975年3月生まれ。東京出身。DJをめざし放送局に入る。卒業後FM京都のADなどの放送現場を経験。音楽・芸術に造詣が深い成長株のクリエーター。佛大時代に同期だった小林寛幸と共に次世代メディアであるインターネット放送局「N−mix」を設立・運営する。

 


■『世紀末映画考』 No.004
                                    ▼増田達也


「人間の証明」「最も危険な遊戯」「殺人遊戯」「俺達に墓はない」「蘇える金狼」「処刑遊戯」「野獣死すべし」「ヨコハマBJブルース」「家族ゲーム」「それから」「ア・ホーマンス」「陽炎座」「嵐が丘」「華の乱」「ブラックレイン」。
映画のタイトルをら列してしまったが、これらは俳優松田優作が主演もしくは、出演していた映画だ。
今回のテーマは「俳優・松田優作」ということで語っていきたい。なぜ、松田優作なのか?ただ単に個人的にファンである。というのが答えだが、最初に好きになった俳優・役者が彼なのである。

「太陽にほえろ!」のジーパン刑事がそもそもの始まりだと記憶しいている。そして、次に「俺達の勲章」の中村雅俊とのコンビでの刑事。「大都会partII」と刑事役が続いた。他にも出演してたのかもしれないが、このころ記憶に残っているのは、刑事・松田優作だ。
松田優作は、2枚目ではない。というかハンサムではないし、どちらかといえば地味な顔をしている。しかし、役者・松田優作は男前だしその存在感は圧倒的だ。長身の身体を猫背気味にまるめながら、走る彼の姿は美しくさえある。

松田優作はTVの俳優からスクリーンに軸足をシフトさせる。そして、遊戯シリーズを皮切りにアクションスターとしての地位を確立する。僕らの世代には石原裕次郎も小林旭も宍戸錠も遠い昔の人だ。僕にとってのスターは松田優作ただ一人だ。多くの映画やドラマで輝いていた俳優はそれこそ星の数ほどいただろうが、松田優作ほど継続してインパクトを与える役者はいなかった。「傷だらけの天使」の萩原健一と水谷豊は最高だったが、現在の2人が最高とは思えない。水谷豊は好きだが、初期のころの格好良さがない。やさしい・いい人になってしまった。ショーケンも危険さがヌケてしまったし・・・。

今のかっこいい系の俳優たちは物足りない。ソリマチもタケノウチもビジュアル的には二枚目だし、かっこいいのだろうが役者としてみると凄みがたりない。
凄みという点でいえば、松田優作はこの年代の役者の中では一番だろう。役のために体重を増やしたり、減らしたりするのは当たり前。奥歯を4本抜いて人相まで変えてしまうのは、狂気に近いものがある。役に近づくためだったら、髪の毛までぬくといわれるロバート・デ・ニーロも彼と同じスタンスをもつ役者だ。僕は、デ・ニーロも好きな役者である。彼らはなぜそこまでして、役に近づこうとするのだろうか?

「こだわり」が半端ではない、ということか。こだわりを捨てて仕事或いは創造的なものをつくることは簡単だ。妥協点を見いだし、この位でよしとするところを見つければいいのだ。ほんの一瞬心に痛みを伴うかもしれないが、そんなものすぐに癒される。だが、それを許すことが出来ないのがこの2人だろうし、どんな業界でもこだわりを捨てない人間は輝いているのだと思う。

たとえば、スポーツ選手しかり、ミュージシャンしかり、アーティストしかり、サラリーマンだって農家の人だってそうであろう。こだわりがすべて報われるとは限らない。こだわらず要領よくやっているもののほうが、うまく成功してる場合だってあるだろう。けれど、何か「こだわり」をもって生きていかなければ、すぐに安易な方向へ流されてしまうのが人間だ。気づいたときには、ただ生活するだけのために働いている人の何と多いことだろう。

何だか少し話が重い方向にいってしまったが、松田優作のことを語るとついそっちの方向にいってしまう。これも松田優作という存在のせいだろう。今回は映画考ではなく役者考みたいになってしまったが、彼はこの世紀末から2000年、そして21世紀にむけてこんな役者が日本にも居たんだということを記憶してほしくて書いてみた。まだまだ彼については語り尽くせないが、その辺は直に彼にふれた人たちの言葉や書籍等を読んで感じてほしい。インターネット上ではたくさんのサイトが彼について語っているし、これからも影響力を持ち続けるのだろう。

若すぎる死は時に人を神聖視してしまうが、彼がもっと年を重ね、枯れた演技もみてみたかったと思う。それよりも何よりもアメリカに進出し、世界的に活躍してほしかったと思う。日本は彼には狭すぎたのだから。
そして、次にこんな狂気をもった役者がどんどん現れることを期待している。狂気を次第に摩耗させていく役者が多いが、ずっと狂気を孕みながらもメジャーになる役者が現れることを・・・。


■今回のMASUDAのおすすめ映画(レンタルビデオ)は、
 「ア・ホーマンス」です!


【増田達也:ますだ たつや】1964年10月生まれ。佛教大学時代は放送局に所属。イラスト・グラフィックデザイナーとして活躍し、今年独立。ノクターン・クラブのコア・メンバーとして主にWebサイトのデザインを担当する。音楽・映画に詳しく、作品に対してイーヴンな評価を与えられるアーティスト。後述の「画面ライダー」の作画担当。

 

 


「中年ロッカーの逆襲」
              〜人との出会い〜           ▼Kei


バンド活動を通していろいろな人に出会った。今回は、その中でも、ライブハウスのスタッフとの出会いにスポットを当ててみたい。
僕にとって、ライブハウスと言えば「拾得」である。ここは、全国のライブハウスの草分けとなった店で、全国的には「磔磔」の方が有名みたいだが、拾得の方が歴史が古いし、営業時間も長い。
「磔磔」のスタッフが店を閉めてから拾得に飲みにくることも多く、そのため、僕たち拾得のスタッフは店を閉めるのが遅くなるのであった。(ちなみに僕がかつて拾得のスタッフであったことは前々回で述べた。)
さて、僕の勤めたころの拾得には、僕のほかに数名のスタッフがいた。その中には、ローザ・ルクセンブルグでプロデビューする直前のどんとさん(ローザ解散後ボ・ガンボスで活動、現在はソロ)もいたわけだが、拾得と言えば何と言っても店長のテリーさんだろう。
この人は、店長のくせに、9時を過ぎるころ(ライブが終わり、PAの仕事が終わるころ)には酒が回ってすっかりできあがってしまい、閉店のころには酔いつぶれていることも度々で(最もそのころの拾得にはそんな人ばかりであったが)、僕も二度ほど、道で寝ているところを助けたことがある。お願いだから、全国の熱心なライブハウスファンの夢や希望を壊すようなことはやめてほしい。
とまあ、品行の方はほめられた人では決してないのだが、音楽については実によくわかった人で、そのころにはよくわからなかったテリーさんの言動の意味が、今になってよくわかることがある。
例えば、あのころ、すけべーな歌詞を歌っている若いパンクバンドについて「何が『やりたい』だ。腰もろくに振れんくせに。」とよく言っていた。僕はそのころ、若者だって腰ぐらい振れるわい。」と、内心反発していたが、今になってみると、アノときの腰の振りが充実してくるのは(特に女性は)、やっぱり30を過ぎなければ無理だろうと思う。(これは、個人差があるので。人によっては一生振れないまま終わることもあるだろう。)
テリーさんがよく言っていた言葉にはこんなのもあった。「一生懸命やっているやつには、だれも文句を言えないよ。」これは、数あるライブバンドの中でも、下手な方から数える方が早かったGAOSSにとっては大変励みになった。下手でも、間違っても、気合いだけは入れよう、そう思ってステージに立っていた。「バンドをやりたい。」「ステージに立ちたい。」「ライブに出たい。」そういう欲求がなぜ、そのころの俺を支配していたのか、それはわからなかったが、「一生懸命やっているやつには・・・」という言葉を意識してステージに上がるようになってからは、パッションの質が違ってきて、演奏中も演奏後も壮快感を感じるようになった。もちろん、演奏上の課題〔技術とか曲順とか)は感じて落ち込むことはあるのだが、後ろめたさのようなものは感じなくなっていた。
GAOSS時代、テリーさんにバンドのことをほめてもらうようなことはなかった。拾得に勤めているときも、テリーさんの説教や繰り言ばかり聞かされていた気がする。けれど、内心は、京都一の老舗ライブハウスで何百、何千とバンドをサポートしてきたテリーさんの評価をもらいたかったのだ。
GAOSSのラストライブが終わった後、酒を飲んでる僕に、テリーさんはこう言ってくれた。「今まで、こいつらはデビッド・ボウイやニール・ヤング、ドアーズのカバーをなぜ、するのかなって思っていた、今日、聴いてて、初めて気がついた。(GAOSSは、)詩を聴いてもらいたいんやね。」そうだ。やっとわかってくれたのか。でも、うれしかった。今ごろきづくなよ。でも、うれしかったのだ。そして、GAOSSのテープをわたしたテリーさんは、にっこり笑って受け取ってくれたのだ。
今年の6月にBitter・Tasteのライブで拾得に行ったとき、意外な言葉を聞いた。「あの(GAOSSの)テープ、息子が気に入ってよく聴いてた。そうだ。あのとき小学生だったテリーさんの息子も、もう、いい若者だ。ということは、僕も、テリーさんもそれだけ歳を取ったのだ。


【Kei:本名 坂本桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。

 


「90年代最強牝馬の引退」
                                     ▼寺西裕一


 競争成績21戦10勝、名牝メジロドーベルが引退する。エリザベス女王杯連覇後、「有馬記念出走の可能性も」と聞いた時には「え〜もうええやんか、引退させたりいや」と思ったものだが、いざ「引退」が現実となると、寂しくて仕方がない。あの重厚な鹿毛の馬体も、かかりぎみに首を前方に押し出しながら走る独特のフォームも、もうお目にかかれない。

3歳の冬、阪神3歳牝馬ステークスで、当時の評判馬、後にフランスG1馬となるシーキングザパールを並ぶ間もなく差し切りG1ゲット。4歳春は桜花賞こそキョウエイマーチに泥んこ馬場で差し届かず2着に敗れたが、オークスでは人気薄ナナヨーウイングを2馬身半後方に従え優勝、クラシックホースの仲間入り。
秋緒戦となったオールカマーは、かかりぎみに先頭に立って、古馬の男どもをそのまま寄せ付けず、逃げ切りがち。秋華賞は、キョウエイマーチに良馬場で春の借りをキッチリ返して2冠達成。5歳春、大阪杯では前年の天皇賞を牝馬ながら制し、年度代表馬となった女傑エアグルーブに屈したものの、秋にはエリザベス女王杯でリベンジを果たし真の牝馬の頂点に。6歳秋には、1つ下の2冠馬ファレノプシス、オークス馬エリモエクセルの挑戦をあっさり退け女王の貫禄を見せつけラストランを飾る。
牝馬限定レース11戦8勝2着2回3着1回、牝馬では史上初となるG1・5勝、4年連続のG1制覇。歴史的な名牝である。

私自身も馬券で随分お世話になったが、仕事でも彼女とは縁が深かった。久しぶりの中央競馬での仕事で三重テレビの競馬中継を担当した時が阪神3歳牝馬Sで彼女がG1ホースになった日だった。現在担当している「OBCドラマティック競馬」で初めて実況した重賞レースが、4歳緒戦で引っかかりまくって3着に敗れ気性面の課題を露呈したチューリップ賞。5歳、6歳のエリザベス女王杯も実況を担当するも、いずれも審議となり、「このレースは審議!」とゴール後に必ず言う必要があるため、彼女への賞賛のコメントがあまりまくし立てられなかったのが心残りである。
でも、引退レースを実況できたのは本当に幸せだ。私がドーベルファンだとご存じのリスナーから「ドーベルが抜け出す瞬間の寺西さんの実況には力がこもってました」というハガキまでいただいてしまう始末である。

過去、私が惚れ込んだ馬は、個性派マイラーだったダイタクヘリオスと京都の鬼ライスシャワーの2頭だけだった。前者は種牡馬になったが成績は今イチ、後者はご存じの通り京都競馬場で天に昇り、子を残すことはできなかった。どうかドーベルには繁殖牝馬としても活躍して立派な子を産んでほしい。彼女の闘争本能を受け継いだ息子(あるいは娘)の実況を担当し「すばらしい末脚!さすがはあのメジロドーベルの子〜!」と叫びたいものである。


【寺西裕一:てらにし ゆういち】1965年生まれ。佛教大学時代は放送局アナウンス室に所属。卒業後、KBS京都を経てフリーのアナウンサーとして活躍。主にスポーツ実況の分野(競馬・競艇・野球・サッカー等)で実力を発揮している。自立心旺盛でしっかりした考えを持つ反面、方向音痴という憎めない面を持つ実力派アナウンサー。


 

 

■編集後記

なんとか月1回のペースで掲載している「マイペンライでGo!」・・。
今回は現役スポーツアナウンサーの寺西君が満を持しての登場です。
実は彼にオファーをしたのは第1号を出す前。しかしこの時期彼は高校野球・
Jリーグ・競馬の実況と「超多忙」の毎日で、とても原稿を書ける状態では無か
ったのでした。秋のGTの時期にも関わらず時間を割いて執筆してくれた事に
感謝・感激・・・・。

てな感じで連載を続ける「画面ライダー」も、スナックの復刻やらなんやらで
注目し直されている感がありますね。30代中盤の僕らはリアルタイムの
「ライダー世代」なので、なんとも照れ臭かったり、嬉しかったりで複雑な感
情です。可能な限り「放送」に忠実な画面を再現したいと思いますので、
エアチェックの素材があれば、ぜひご覧になって下さい。

さて1999年ラストは第5号か、それともこの号なのか・・・・?

 

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編集:柏原 誠 kashihara@nocturne-jp.com
    増田達也 masudaya@fa.mbn.or.jp
Copyright(c)1999 Ncturne Club
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