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マイペンライの第2号が無事できました。創刊号に引き続いて愛読の程を!豪華連載陣が魂こめて(?)執筆したので、感想等をゲストブックにのこしていって下さい。よろしく!

というわけでますます、充実していく「マイペンライでGO!」をじっくり楽しんでいって下さい。

 


「夕焼けイノキスト・宮脇まさはるのプロレス郷愁思考のすすめ」
          ゆうやけの空地に猪木のシルエット・・・・の巻    ▼宮脇正治


 人間、暇だとろくなことを考えないらしい。しかし、忙しいと心を亡くすとも言う。忙しさの谷間、心にぽっかり穴があく。ふと脳裏をよぎるのは少年の日の思い出・・・。私は昭和35年10月7日生まれ。A猪木がデビューした35年9月30日の僅か7日後に人生というリングにデビューしたんだ、なんて自慢しても誰も誉めてくれない。ま、この文が出る頃には満39才になっているというわけだ。
 私達40まえの世代が少年の頃は、空地(あきち)というものがどこにでもあった。空地での少年達の遊びと言えば、まず野球。そしてプロレスごっこ・・
これは人数もスペースも、野球よりはるかに少なくてすむ。
 あれは不思議な空間だったー。

 空地の片隅のうずたかい砂山。少年達が登れば、たちまちそれは平らな台形になる。そこをリングに見たて、「これよりい〜空地区砂山体育館、本日のお〜メインエベントお〜6人タッグマッチい〜60分3本勝負でえ〜ございますう」私は篠原リングアナになって選手達を呼びあげた後、素早く青コーナーに戻り、レフリーの点検を受ける(まねをする。レフリーがいないから。)
 さあ、ゴングが鳴った(つもり)!それぞれが実況と解説をこなしながら、口と体でワザの掛け合いをする。レフリーなしでも、自分達で「ワン!ツー!・・」なんてやっている。自由な空間。そして皆、昨日のプロレス中継をちゃんと覚えていて、6チャンネルのグレート草津とビル・ロビンソンの攻防のヤマ場を、ほぼ完璧に再現する。そこへ突如10チャンネルの猪木が乱入し、ナックルパートを乱れ打つ。まさに夢の6人タッグ。G馬場をやる子は、その立ち居振舞いを特にしっかりやらねばならない。
 各自が自分に与えた役割=スター選手の個性あふれる動き、表情、声色までまねながら、自分の発想で思い思いにワザ掛けするわけだが、ロープは無いけど振られたら必ずハネ返り、砂山から落ちればそれは場外転落、という暗黙のルールは守られていた。
 そして何よりも、お互い怪我はしない、させないという大前提があった。
とはいえ、殴るまね、蹴るまね、ワザを掛けるまねではない。それなりに殴り、蹴り、掛けるのだ。が、その加減の仕方の巧みさ、攻めた分だけ受けて見せる互角の意識、攻守交替の呼吸・・・・これらの要点は誰に教わったのでもなく、事前に申し合わせる訳でもない。それが咄嗟にできるアドリブ感覚を、プロレス少年たちは備えていた。
 試合は延々と続く。不思議な時間が流れた。
 やがて黄昏どき。どこからか夕餉の匂いが漂う。誰かの母親が迎えに来た。これにて放送時間切れ。架空の大観衆も置き去りにされ、荒れた砂山リングを夕焼けが染めている。汗びっしょりの皆の顔も朱いー。
 いつしか砂山はかげも形もなくなり、空地には駐車場とビルが建った。そうか。砂山は建築材料なんだ。砂山があるということは、その空地は近々なくなる、ということだったんだ。空地がなくなる・・その象徴である砂山でやったプロレスごっこ。卒業式もなく砂山体育館を巣立っていった皆も、思い出すことがあるのだろうか・・・・。

 どこにでも空地があった、30年も昔の話。
 忙しさの谷間、心にぽっかり穴があく。そこに突然、砂山が出現する。
そしてそれは平らな台形になる。やがて深紅の夕焼けが台形を照らし出す。
と、その中央に、コブラツイストを掛けているイノキの影が浮かびあがった!
 私の心の中に、夢多き空地は今も、ある。


【宮脇正治:みやわき まさはる】1960年10月生まれ。佛教大学で放送局とプロレス研究会に所属。アマチュアプロレスJWAリングアナを経て現在、事務局スタッフ。
プロレスファン歴30余年。自称、下町に潜む静かなイノキスト。


「Rockは死なない 〜ARBに「惚れた」男 その2〜」
                                                ▼柏原 誠


僕とARBとの出会い〜前編〜
実は僕とARBの出会いはそれ程若い時期ではない。大学3回生の時後輩に借りた「Bad News」が最初の出会いだ。
それまでの僕はクラッシュ、ブームタウン・ラッツ、ポリスなどのブリティッシュ・ロックが好きだったので、どことなく日本のロックグループであるARBは「向こうの音を真似ただけのパンクバンドかな?」と思っていた。
しかししかしである。ダビングのダビングという、今なら想像できない音質のカセットをONにした瞬間、アタマの中の何かがONになったような、そんな衝撃を受けたのを今でも思い出す。
なんだこの曲は!・・・。日本人的で、でも攻撃的で、でも優しくて、しかも「めっちゃカッコええやん!」演奏の荒削りさの中に、これ以上飾る言葉がないぐらいの表現をビートに織り込んだ「乾いた花」、「生きる 生きる・・生きまくる」がシビれた「Tiger」・・
20歳の僕は少し遅いカルチャー・ショックを受けながら秋の京都を迎えたのだった。

そして24歳で放送局の同級生や後輩達と一緒に作品を作るグループ「ノクターン・クラブ」を作り、映像作品だけでなくイベントやライブまで主催した。「ノクターン・クラブ」はもともとは作品のタイトルに付けられた名前で、ARB「Bad News」の収録曲をテーマにしたのでそうなったのだが、今となってはとても重要な意味を持っている・・・・。

ノクターン・クラブはその後いったん活動を止める。コア・メンバーがそれぞれ忙しくなったことが大きな理由だが、91年のARB解散も少しは影響しているのかも知れない。

話を僕自身に戻そう。当時広告の仕事をしていた僕はラジオのプロデューサーという、早い話が現場責任者に祭り上げられ、結果として管理職の道を歩くことになる。31歳から毎年昇格させられ、責任とストレスにカラダの変調を感じていた。
そして95年、あの阪神大震災である。未曾有の災害は我が家にも「一部損壊」の傷跡を残したが、それ以外にも僕自身に大いなる問いを与えていた。
「このままでいいのか?」・・・・・。

ストレスの影響で椎間板ヘルニアの初期症状が出始めたとき、僕は1冊の本を手にしていた。生江有二氏の書いた「西野流呼吸法」の本である。今まで経験した事のない「気」の世界・・。難病をも治してしまう「生命エネルギー」の凄さ・・・僕はこの本を選ぶにあたって、本のタイトルではなく「生江有二氏」が書いた本だから買ったことを覚えている。
生江氏はルポライターで、「渾身・石橋 凌」の作者。その本棚には「気」に関する本が並んでいたワケだが、この場面でもARBが関係していた事はお分かり頂けると思う。

<つづく>

【柏原   誠:かしはらまこと】1963年2月生まれ。赤井英和・和泉 修を輩出した浪速高校を卒業、佛教大学で放送局に所属する。卒業後12年間のサラリーマン生活を経て独立、87年に設立したグループ、ノクターン・クラブを復活。和泉 修の誘いでテレビ番組の構成作家とうめだ花月シアターでの舞台演出を手伝う。


■『STARWARS SAGA GOES ON』...VOL.2
                                                  ▼重藤貴志


意外と知られていないことだが、『STARWARS SAGA』という壮大な物語は、
その冒頭で語られる「A long time ago in a galaxy far,far away....」という言葉が示しているように、我々の世界とは全く異なる世界の出来事である。
つまり、『STARWARS SAGA』の世界には、我々には理解出来ない概念が数多く存在する。
勿論、それらの意味は漠然と劇中で語られてはいるのだが、より物語を楽しむためには、それらの意味をはっきりと正確に知っておいた方が良いに違いない。
今回からしばらく、それらの概念について、ひとつずつ解説していくことにしよう。

『STARWARS SAGA』を語る上で、絶対に外すことの出来ない概念は《FORCE》である。
英単語では「力」を意味するこの言葉は、『STARWARS SAGA』では特別な意味を持つ。ルーク・スカイウォーカーをはじめ、オビ=ワン・ケノビやヨーダが操る《FORCE》は、一見すると、我々の世界で云う超能力のように劇中では描かれており、単純に、そのように理解している人々も多いのではないだろうか。
その理解は間違っているとは完全に言い難いのだが、正しいとも言い難い。
では、《FORCE》という概念とは、いったいどのような存在なのだろう。

イースト・ブレスから発行されている『STARWARS ENCYCLOPEDIA(日本版)』によれば、

《FORCE》とは「自然界に存在し、正体が未解明のエネルギー・フィールド。
        銀河全体を覆い、結びつけている。
   《FORCE》は生命体全てから発生するものであり、
   その性質が周囲を取り囲み、浸透している。
        他のエネルギーと同じく、《FORCE》は操作可能だが、
        それには知識と素質が必要とする(後略)」とある。

『STARWARS ENCYCLOPEDIA(日本版)』は、EPISODE.4〜6までの映画を基本として、数多くの小説やゲーム類の設定から用語の注釈を試みた書物であり、ファンの間では、最も信頼がおける辞典のひとつだが、唯一、その情報が若干、古い点が問題である。
『EPISODE.1 -THE PHANTOM MENACE-』が、今年1999年に公開されたことでも解るように、『STARWARS SAGA』は、常に進化し、膨張を続けていることを忘れてはならない。《FORCE》の解釈が『EPISODE.1 -THE PHANTOM MENACE-』で大きく変わったのである。
それが《MIDI-CHLORIAN》という微生物の存在と、その役割である。

『EPISODE.1 -THE PHANTOM MENACE-』で、クァイ=ガン・ジンは語る。

「《ミディ=クロリアン》は、あらゆる生物の細胞内に存在し、
 《フォース》を伝える微生物だ。我々はこの微生物と共生している。
 《ミディ=クロリアン》が無ければ、我々は存在することは出来ないし、
 《フォース》を悟ることは出来ない。この微生物が《フォース》の意志を伝えるのだ」

つまり、《FORCE》を操作するためには『STARWARS ENCYCLOPEDIA(日本版)』にある「知識」という努力、そして「素質」という抽象的な遺伝要素のみならず、自らの細胞内に《MIDI-CHLORIAN》という微生物がどれほど存在しているかという、極めて具体的で生物的な遺伝要素が必要とされる事実が判明したのである。

この設定は、非常に興味深い暗示を内包していると考えるのは、筆者だけであろうか。ルーク・スカイウォーカーという少年は、決して何処にでもいる普通の少年ではなく、アナキン・スカイウォーカー(ダース・ヴェイダー)という優れた父親の遺伝子を受け継いだ“特別な少年”であった、ということになる事実をどう受け止めるべきか。

「あの子には父親がいません」と語った、アナキン・スカイウォーカーの母親であるシミ・スカイウォーカーの言葉が何を表現しているのか、現時点では解らないのだが、《FORCE》の新たなる設定の背景には、大きく関わっていると見て間違いないだろう。

次回は、その《FORCE》を操る《JEDI》について解説する予定である。


【重藤貴志:しげとう たかし】1975年3月生まれ。東京出身。DJをめざし放送局に入る。卒業後FM京都のADなどの放送現場を経験。音楽・芸術に造詣が深い成長株のクリエーター。佛大時代に同期だった小林寛幸と共に次世代メディアであるインターネット放送局「N−mix」を設立・運営する。


■『世紀末映画考』 No.002
                                    ▼増田達也


世紀末なのだ。1999年なのだ。2000年まであと3ヶ月ちょっとなのだ。
なんて、前回の冒頭の使い回しから始めてしまったが、使い回しを映画の世界では「リメイク」などと、おしゃれに言い換えて過去の映画を制作してお茶をにごしたりしている。
この傾向はたぶんに、アメリカ映画に多い。確かに制作本数が多いこの国では、しょーもない脚本や原作を探すより、手っ取り早い方法なのかもしれないが・・・。

ところで、リメークとは違う言葉で「オマージュ」ということばがある。どちらも映画界ではよく使われていることばであるが、一般的にはあまり多用されない。音楽業界では、「カヴァー」の方が通りがいいし、「トリビュート」なんてことばも最近はよく聞く。
まあ、ことばの問題は本題から外れるので、やめておく。

前回、香港映画や邦画のことに踏み込んでみたいと書いたが、簡単に香港映画の近年の流れをみてみると、
まずブルース・リーが一世を風靡したのに始まり、次に"ミスター・ブー"シリーズ、サモハン・キン・ポー等のお笑いカンフー映画。そして、ジャッキー・チェンが大スターになり、男たちの挽歌シリーズのチョウ・ユンファは亜州影帝と呼ばれ、「夢みる惑星」「ヴエノスアイレス」の監督としてウォン・カーウェイは一躍脚光をあびている。
チョウ・ユンファは、日本の俳優がなかなか越えられないハリウッド進出も主役デビューという形で、こなしているし、その一時代を一緒に築き香港ノワールという時代を引っぱったジョン・ウー監督は現在ハリウッドで活躍している。

だいぶ、簡単にまとめたが、世紀末の香港映画とは中国返還後の問題も絡めて興味深いのは確かである。
が、一般的にはジャッキー・チェンとカンフー映画的くくり方を日本ではされているのではなかろうか。
まあ、それでも日本では香港好きといわれている方々が結構いたりもしている。
個人的には、チョウ・ユンファの存在感は魅力的だし、是非ハリウッドでも成功を収めてほしい。松田優作が、かなえられなかった事を同じアジアの役者として。

同じアジアといえば、韓国映画や台湾映画、中国映画に北朝鮮映画?もある。台湾映画や中国映画はだいぶ前から評価は高いし、韓国映画も最近ええよという声は聞く。そして北朝鮮映画であるが、これがなかなかお目にかかることができない。「ブルガサリ」はレンタルビデオ屋でも置いてあるが、他はニュース番組の特集なんかでチラッと見る程度だ。
過去、社会主義時代のソ連でも素晴らしい映画はあった。もしかしたら、北朝鮮にも隠れた名作があるのかもと期待しないではないが、あの国では難しいかもなあ〜と感じてしまう。逆の意味で笑える映画がたくさんあるとは思うのだが、いかがなものだろう。

今回は、アジアの映画に目を向けたので、思い出したことがある。何年か前タイで映画を観たことがあるが、その時上映前にタイ国王のニュースみたいなのが流れ、スタンディングさせられたのだ。タイの人々は国王に敬意をはらっておるからねえ。
まあ、それは余談だが、上映中はほとんどまっ暗であるのがよろしい!
昔は日本の劇場ももっと暗かった覚えがあるのだが・・・。いまじゃ、明るすぎて周りの景色が目に入りすぎて気が散ってしまうんだい。のめり込めるほど、おもしろい映画だったらいいけど。それと・・・言い出したら文句がいっぱい出てくるので、またの機会に。

てなことを、思い出していたら紙面(?)がつきたので今回はこのへんで!

■今回のMASUDAのおすすめ映画(レンタルビデオ)は、
 「サボテンブラザース」ぜひ、観て下さい!

【増田達也:ますだ たつや】1964年10月生まれ。佛教大学時代は放送局に所属。イラスト・グラフィックデザイナーとして活躍し、今年独立。ノクターン・クラブのコア・メンバーとして主にWebサイトのデザインを担当する。音楽・映画に詳しく、作品に対してイーヴンな評価を与えられるアーティスト。後述の「画面ライダー」の作画担当。


「中年ロッカーの逆襲」
               〜ファースト・ライブ編〜           ▼Kei


 盆前のうだるような暑さの京都に、僕はいた。ライブハウス「拾得」のステージの上に。「とうとう、ここまで来たか。」という感激と、「やっぱり、ライブちゅうもんは上手くいかんなあ。」というもどかしさが、頭の中を駆け巡っていた。なにしろ、バンドとしてステージに立つのは13年ぶりなのだ。
 10年ぶりにバンドを始めてから、3年。かつて「GAOSS」というバンドをやっていたとはいえ、ドラムのMegumiはもともとベーシストだったし、僕も、10年間ギターを持つことはほとんどなかった。そして、ベーシストのKatashimaは、全くの初心者だ。「目標は拾得のステージに立つこと」とは言っても、3人ともどこか本気になりきれずにいたぐらいなのだ。練習のペースもゆっくりで、持ち曲もなかなか増えない。1ステージ分(9曲)できあがったのはこの7月なのだ。
 そんなスローペースの我々が、ファースト・ライブに「拾得」を選んだのにはちょっとしたわけがある。第1に、僕の住む和歌山にはアマチュアバンドが気軽にできるようなライブハウスがない。第2に、この歳でライブ経験も無い状態で、面識もない店に自分たちを売り込みにいく勇気がない。(僕はかつて拾得の従業員だった。)第3にメンバー全員が自分の実力不足や認識不足(ライブバンドとしての)をおぼろげに感じつつも、いたずらに年齢を重ねた悲しさか、そこから一歩踏み出して、「よーし、おれたちゃライブバンドだから、もっと練習して上手くなってやるぜ」みたいな本気さを持てていない。何かきっかけが欲しい。そのためには、ごまかしのきかない場面に自分たちを直面させなければならない。
 以上のようないきさつがあり、ともかく我々の初ライブは始まり、そして終わった。結果は・・・・・バンド名「Bitter ・Taste」つまり「苦い味」は皮肉にも自分たちが思い切り味わうこととなったのだ。やはり、何事もやってみなければわからない。ある程度予想はできても、本番は予想外のことが次々に起こるのだ。チューニングの狂いや演奏のもたつき、カポタストを楽屋に忘れるというハプニングも起こり、3人ともステージ上で自信を失い、弱気になっていた。ライブ終了後、Megumiが「3回ぐらい、ステージから降りたくなった」と言っていたが、僕も同感だった。
 けれど、そういった敗北感に少し遅れてではあるが、逆にそう快感がわきあがってきたのも事実だった。それは、13年ぶりにステージに立つという夢を現実にできたという感慨からであったろうし、どんなに不満足な演奏であっても、自分の歌に込めた思いだけは来てくれた観客に伝えようと、決して気合いを抜かずにプレイできたことも気持ちよかった。(昔は結構、いじけたりして気を抜いたことがあったんだよね)そして、何よりも、昔の仲間が結構観に来てくれたこと。これは何よりもうれしかったね。だって、こればっかりは、自分の努力だけではどうしようもないから。この日拾得に来てくれた方々には、本当に感謝してます。
 ファースト・ライブは終わった。Bitter・Tasteの目標は達成されたわけだけど、これで終わるのではない。ここから始まるのだ。やってみてわかったことがたくさんある。それは次のリターン・マッチまでの課題である。30を越えた中年男たちが、仕事以外のことで課題を持ってリターン・マッチに挑もうとしている。
またボロボロに打ちのめされるかもしれない。今度は客も見離すかもしれない。それでもBitter・Tasteはライブバンドとしてスタートしたのだ。もう後戻りはしないのだ。


【Kei:本名 坂本桂】ブリティッシュ・ロックの大御所「THE WHO」デビューの1964年に生まれる。高校時代「SMO 」/「ストーン・ギャザーズ・ノー・モス」というストーンズ、ピストルズ、フーなどのコピーバンドのVo.を経験後、1982年に「GAOSS」を結成。オリジナル曲を中心に京都の「拾得」「磔々」大阪「エッグプラント」等で演奏活動を行うが1987年に解散。その後10年のブランクを経てBitter・Tasteを結成。

 



■編集後記
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さて今回は初号発行の遅れを取り戻すべく、ちょっと急いで立ち上げましたがいかがでしょうか?
今回は魂のロッカー・坂本 桂氏を新たに迎え、熱いメッセージをお送りします。
最後は超時空アクション劇画「画面ライダー」でお楽しみ下さい。(どこまで続くかは筆者しだい・・・笑)

■原稿執筆者募集
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編集:柏原 誠 kashihara@nocturne-jp.com
    増田達也 masudaya@fa.mbn.or.jp
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