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KUVF春季リーグ

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昨年から撮影を始めた関西大学バレーボール連盟春季リーグ戦。
男子1部の試合は昨日で3日目の日程を終えました。

詳細は公式HPに譲るとして、今回はその撮影についてちょっと書いてみます。

開会式で我々の存在を連盟の副会長さんが紹介してくれました。有り難いことです。
選手の皆さんのプレーが全国はおろか、全世界に配信されるワケですから、
中高生の見本となるようなプレーを見せて頂きたいと、我々も思います。

Vリーグを長年撮影してきた者としては、
KUVFの競技ルールがVリーグ準拠というのはありがたい事です。
ただ、大きく違うのは、「テクニカルタイムアウトが無い」点でしょうか。

Vの速報を作っていたころは、このTTOでテープを止め、あるいは交換していましたが、
今は作戦タイムしかそのチャンスがありません。
恐らく、一日4試合をこなす必要があるので、得点後、サーブまでのホイッスルも
Vよりかなり短くしてあるようです。
Vは大体、この場面は10秒ほど取っていて、応援団はそこに応援の音をはめ込むので、
応援サウンドを作る時は10秒以内にしていました。
タイムアウト、セット間も少し短いような気がします。

大学での応援はスピーカー等は使用禁止なんだと思いますが、
全員がメガホン叩いて声出し応援です。これはとても新鮮です。

面白いなぁと思ったのは、
コートに大学の(バレー部の)旗を持って入って、そして走りまわること。
これは大学特有のものでしょう。学生スポーツらしい、溌剌としたパフォーマンスです。

さて実際の撮影ですが、今季からカメラ2台体制になりました。
全編HD収録は当然として、コートと並行に振るいつものカメラに加え、
データ分析用のFIX映像である、エンドラインカメラを設置しました。

こっちも振れたらいいのですが、データバレーと連動させたり、
分析ツールとして活用する、言わば「業務用」の要素が強いので、
あえて固定アングルとしています。

リーグはまだ7日あります。
どんどん撮って、チャッチャと編集して、
できるだけ早くYoutubeにアップして、
コンテンツを販売していきたいですね。

収益が出れば、KUVFに還元でき、理想のサポートシステムが完成します。

皆さんもどうぞ、DVD・ブルーレイでこの熱戦をご覧下さい。

オンラインストアはこちら

25years

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風呂に入ってて、急に思いついたので書くことにしよう。

それは、現在の会社の前身となる組織「ノクターン・クラブ」について。
自身のHPにも"Since1987"と記しているように、ノクターン・クラブが始まったのは1987年。
自分が就職して2年目のことである。
今回は自分のクリエイティブの源流である、ノクターン・クラブがどうやって始まったのかを
つらつらと書いてみる事にする。

大学4回生の冬になっても就職が決まらずにいた頃、内定していた某在阪ディーラーを断って
アルバイト扱いで入ったのは、KBS京都の子会社「KBSエンタープライズ」という会社だった。
放送局の関連会社になんとか潜り込めた!と思っていたのつかの間、気がつけば配属は営業の部署。
テレビの仕事がしたくて入ったのに、最初の所属は「システム営業部」という、要するに
業務用の映像機器をシステムで売る部署だった。

当時の上司は今では独立して、音響・映像システム機器の販売会社の会長をしておられる、大学でも
よくお会いする、大越さんだ。よくよく考えてみれば、佛大に出入りしていた大越さん経由で自分の
採用が決まったようなもので、後で考えると、自分がシステム営業に行くのはこの段階で出来レースだったのだ。

そんなこともつゆ知らず、世間知らずでクソ生意気な当時の自分は、やりたい仕事とはぜんぜん違う職種に戸惑い、
現場では職人に意味も無く怒られ、会社に帰れば机すらない最初の1年?1985年を過ごした。この当時よく大越さんに
逆らったなぁ。本当に迷惑をかけてしまい、今でも大反省している。

翌年の1986年、社員として正式に辞令を受け、今度はBGM営業部に異動した。ここはホテルやスーパーなんかで再生する、
テープ式のBGMをレンタルする部署。

結局ここで営業マンとしての基礎を叩きこまれ、少しずつ社会人としての落ち着きを見に付けていったのである。
そうこうして仕事に慣れてきているウチに、どうにも自分の置かれた立場が、本当に自分がありたいと思った立場なのか、
自問自答を繰り返すことになった。

滋賀県北部を回る営業エリアなので、会社にいる時よりも、クルマで一人の時のほうがはるかに長い。
広大な近江平野と、どこまでも広がる田んぼや畑に囲まれた農道を、時には法定速度を超えるスピードでブッ飛ばし、
何かモヤモヤするものを抱えた毎日を送っていたのだった。ちょうど高校時代の同級生・深川君が結婚のためバンドを辞め、
一緒にバンドやろーぜなんて盛り上がってた頃だ。意味の無い怒りと、無尽蔵にあるかと思われる時間のおかげで、
クリエイティブな思考はどんどん膨らみ、逆に営業マンという自分の現在の立場とのギャップに、ますます怒りを覚える
毎日であった。当時を知る人たちには、「あの時、めっちゃ怖い顔してた」と、よく言われる。お恥ずかしい限りである・・・。


そんな時、学生時代に可愛がってた後輩たちが就職し、久しぶりに一杯やる機会があった。
そこで出たハナシが、「学生時代にできなかったものを作ってみたい」だった。

学生時代に作れなかったもの?それは映像による作品である。

ビデオカメラがそろそろ普及しようかという頃、編集作業なんてものは業務用の機械でないと不可能な頃に、
SONYからエディット・ギアなるシリーズが発売された。

その機器がなかなかの魅力だった。2台でプリロール編集が可能になるSL-HF3000や、イメージスキャナで文字を
取り込めるテロッパー、カラーコレクタとか周辺機器も充実しだした頃である。

撮影や編集のスキルは全く無い。でも何か作りたいという情熱だけで、当時取引先だった関西SONYから、卸し価格で
これらの機器を買った。社員販売なので、催促なしのボーナス不均等払いである(笑)。

こうして見よう見まねで、当時の思いのすべてを記録したビデオ作品の名が
当時大好きだったARBのセカンドアルバム"BAD NEWS"に収録されていた「ノクターン・クラブ」という、楽曲のタイトルだったのである。

この作品、ほぼ7カ月ほどの時間をかけ、オムニバスの展開で構成されていた。今では見ることさえ恥ずかしい位の出来で、
撮影の基礎も編集の基礎も、殆ど入っていない、恐らく技術的にも作品的にも全く評価されないものだろうと思う。

だけど、この当時の勢いを超えることは、未だなかなか出来ない。職務著作という性格もあるが、
自分の為に作ったものと、お金をもらって作るものとは、基本的なパートがまったく異なるのである。

この作品を皮切りに、映像に対する興味はどんどん膨らんでいった。

そうだ。自分が放送の世界に行きたいと思ったのは、高校時代からで、
メディア研究のゼミナールがある佛大に入ったのも、最終的にはこの仕事に就きたかったからだという事を思い出した。

そこからはシステム営業部で教え込まれた事が役に立った。半強制的に受けさせられたシステムの研修のおかげで、
システム機器の設置も配線や組み付けも、殆ど自分でできるようになっていたのだった。あの時もっと貪欲に、
数年後生きてくるスキルだと分かっていれば、もっと勉強したのにと思う。

そこからしばらくの間、映像の知識を独学で学び、会社にはナイショの編集のアルバイトなんぞを引き受けて腕を磨き、しまいには
当時住んでいた西院のマンションが埋まるほどの機材を、またまた借金して入手し、本格的なインディーズ撮影を試みたのである。

振り返ってみれば、当時会社を辞めた退職金とほぼ同額になってたであろうか。インターネットも何もない時代の90年代前半、
資料はサンレコマガジンとビデオサロンだった。あとは会社で情報を集め、親会社の技術スタッフに教えを乞うた。

平成9年、13年在籍していたKBS京都プロジェクトを退職した。
その当時は、完全にこの世界から足を洗って、しばらくは親父の介護に専念するつもりだった。
ところが辞めて早々に元々担当していた「和泉修のひまじん倶楽部」の構成に入ることになり、暫くすると会社時代に担当していた
母校・佛教大学の仕事がオーバーフローして戻ってしまい、結局はなんだかんだでフリーの制作マンになったのであった。
商売をするのだから、かねてより看板として掲げていたノクターン・クラブの名が、そのまま屋号みたいになってしまった。

映像の仕事が本格化したのは、実はこの後、2003年である。
そう、ノクターン・クラブの持っていた資産をすべて移し替え、手持ち資金と共同創立者である吉田氏の力、そして昔から
お世話になっているY氏の協力を得て、有限会社トライマックスは創立に至ったのである。

ノクターン・クラブは、今のところ名前だけが残り、自分の個人活動がメーンのようになっている。
しかし、この集まりを立ち上げるに誓った事は、やはり「モノづくり」である。そういった意味ではトライマックスとノクターンは
密接につながっていると言っても過言では無い。理想はあの当時のように、純粋にコンテンツに向き合うことだ。思考錯誤の中で
自分たちはひとつの基準を得たように思う。

25歳の時に誓った想いは、25年を経た今でも、衰えることなく燃え盛っているのだ・・・。

最近の仕事

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我々は言うまでもなく映像屋でありWEB屋である。もっと簡単に要約すると

「コンテンツ屋」と言えるだろう。

 

じゃあ、今まで言えなかったのか?と言われると、

強いて言えば、言えなかったのです。

なぜなら、WEBと映像、どっちかに偏っていたから。

それが最近、YoutubeやUstreamの影響で、両方のスキルを同時に

求められてくる事が多くなった。

 

もともとは、インターネット上で映像を流すことを主たる品目として開業したワケだが、

ようやく、時代が追い付いてきたような感じである。

かといって、これからさぁ、ボロ儲けだウヒヒヒ・・・とはいかぬのが、世の常。

そういう市場もバブルっぽくなりつつあり、ブームとまではいかないにせよ、

これが最終形態にはならないだろうと見ている。

 

さて、コンテンツ屋として、何に着目すればいいだろう?

爆発的に売れるより、安定して売れて、

ある程度、独占的な市場が形成できて、

人間的な信頼関係によって継続される事業。

 

そういうのを考えてきた。

 

そろそろ、そこに辿りつけそうな気がする。

今年のアタマ頃、弱いながらも「風」を感じた。

今もその風は弱いながらも、吹いているようだ。

時には無風になるけど(笑)

 

いい感じになってきた。ここからV字・・・とは言えぬが、U字?ぐらいの回復を

めざしてゆこう。

卒業

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さて、Facebookにかまけていたら、ブログを書くのを3カ月も忘れていた。

あっと言う間に4月である。

 

2012年も4カ月が過ぎた。復興予算が通過し、今年は経済も復興すると言われる。

消費税の論議もこのチャンス逃すと次はない。なんとか傷の浅いウチにというのが、

ホンネなのだろう。

 

3/20に卒業式を迎えた。

まさに、あっという間の2年間だった。

途中、倅が産まれ、糖尿病に罹り、頸椎の痛みに悩みと、

体調不良がわが身を襲っていた。

 

西野流を2年も休んだのもコレが初である。

その影響でカラダが変調をきたしたのかも知れぬ。

 

その悩みや苦しみも、卒業式で研究科を代表して証書を受け取った時に

すべてフッ飛んだような気がした。

しかし、これからが大切だ。まずはカラダを治し、そこからまた全速力で前へ進まねばならぬ。

修士論文、校了。

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最後の卒業単位となる修士論文は22日に提出した。

校了するまで、指導頂いた先生方、諸先輩方には心から御礼申し上げるものである。

序章から終章まで併せて約33.000文字、図表を入れれば45ページという、

なかなか気合いの入った論文になった。

テーマは"地域スポーツ団体のサポートシステム-「デジタルコンテンツの活用を視点に」-"

得意分野と、全く得意でない分野が入り混じった論文で、

特に重要な三章部分は当初の予定とはずいぶん違った結末になったように思う。

 

論文を書きつつも、残念ながら本文から落とした項目もたくさんあるから、

そういった部分を思い出しつつ、余禄として書き起こしてみたいと思う。

 

スポーツ団体、それも地域スポーツ団体は、子どもたちが初めてスポーツに触れる

「エントリー・スポーツ」の領域を担当することが多い。従って、地域のスポーツ活動の

ハブとして公共的役割が求められている。しかし実態は、学校の先生だったり、

競技経験者がボランティアで運営に参加しているような状態が恒常化している。

 

実はこの「ボランティア」が結構クセモノなのだ。

 

特に教育現場にあっては、この無償の奉仕は必須のものである。

やはり、「教えを乞う」わけだから、当然のように、「お礼奉公」があって普通の世界

である。というか、日本の典型的な組織では、別にお礼奉公と言わずとも、

お世話になれば、その分は何も言わなくても分かるでしょ的な発想で、

お礼をするものだ。

これを「互酬関係」とも言うが、これが強いのが、教育界とスポーツ界だと思う。

 

何故か。

 

それほど難しい答えではない。マニュアルでは学べない「経験価値」があるからだ。

そしてそれは、「暗黙知」とも言われている。

この要素が強いほど、通常の概念では捉えにくい要素が多分に含まれているから、

理解にとても時間がかかる。

自分は最初、スポーツ関係者の方々の考え方が、微妙に違うところに気付き、

そして、その違いというのが、この「暗黙知」だと思った。

 

スポーツ団体のもうひとつの特徴は、組織構造がヒエラルキーの強い、

官僚制的な構造だということだ。

カンタンな話、「タテ社会」である。今昔に関わらず、自由を求める若者は、

このタテ社会を嫌う。

しかし、成長するにつれ、いつのまにかタテ社会に染まってゆく。

 

心理学者の岸田秀は、日本の官僚組織の特徴を「自閉的共同体」と呼んだ。

排他的である。身内の責任を問わない。外部に対しては攻撃的である・・・

などの特徴があるが、

岸田は日本のあらゆる組織体にもあてはまると、著書で述べている。

ちょっと脱線してしまうが、日本の企業や官庁、学校などの教育機関などが

おしなべて自閉的共同体とすれば、

日本のグローバル化なんてのは、机上の空論でしかないと、自分は思う。

 

話を基に戻すと・・・

スポーツ団体の組織的な特徴、構成員の特性はなんとなく理解できた。

では、地域スポーツ団体の問題や課題とは、一体何なんだろう?

 

それはやはり、「ぜい弱な財政基盤」に他ならない。

 

財政的に主体性が確保できておれば、スポーツ団体は

格段にステータスを上げてゆくだろう。

その為には、スポーツ団体の競技会や、様々な取り組みを、もっと多くの人々に

アピールする必要がある。

 

つまり、「可視化」を進めよ・・・というワケだ。

 

そのために、デジタルコンテンツを使ってみてはという論文である。

 

その後の展開は、また時間があれば・・・

W杯バレー

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最近になってFacebookの設定が変わり、このブログもリンクされなくなった。

逆に言えば、思ったことを素直に書けるだけ、このブログもひっそりしていることなので、

今日はちょっと毒でも吐こうかと・・・

 

今、男子バレーボールのワールドカップが開催中である。

世界ランク18位の全日本は、今回の参加国の中でもかなり下のランクである。

つまり、ほとんどの国が「格上」である。

今日もポーランド戦に敗れ、これで5連敗。

もう、可哀そうで仕方がない。

監督とはじめ、コーチ、選手、ぜんぶ話したことのある人たちで、

とても人情味があって、スポーツマンらしく礼儀正しい。

そんな人たちが、テレビの前でもがき苦しんでるのを、正直、見ていられない。

 

先日、綾部で小学生バレーボールの京都府決勝大会を下見に行ってきた。

見てガクゼンとしたのは、チーム数。

女子16チームに対して、男子はたったの4.

決勝トーナメントは、女子の試合が15試合に対して、男子は3試合で優勝が決まる。

早い話、男子チームが圧倒的に少ない訳だ。

 

これは、地域のスポーツ少年団結成の経緯とも密接に関わっていると思う。

男の子はアウトドア主体の野球・サッカーチームが圧倒的に多く、

女の子はインドアスポーツのバスケット・バレーボール、バドミントンが多い。

小学校を軸に展開されるスポーツ少年団の活動であれば、場所を有効利用することも

競技の選定には重要であったろう。

また、テレビで放送される野球・サッカーと比べ、バレーボールはVリーグも含めて

地上波での放送はほとんどない。

バレーだけじゃない。バスケット、ハンドボール、ホッケー、ラクビー、アメフト・・・・

テレビで放送されてないスポーツのほうが、圧倒的に多い。

正確に測定しているからでは無いが、テレビで放映されるか、されないかが、競技人口の数と

直接的な関連性はないように思える。

だったら、何が背景にあるのだろう?

 

自分は、競技団体の普及に対する考え方があると思う。

バレーボールは、トップチームが強くなれば、テレビを見て憧れる子どもたちが競技を始めて、

上を目指すであろうという、「トップダウン」の考え方だと聞いた。

 

今では、なんてバカな事を考えているんだろうと言う人が圧倒的だろう。

小学生大会の数を見れば、トップチームのレベルと連動していることが分かると思う。

実際に小学生大会では、女子のほうがスキルは高かった。男子は技術の差がテキメンに出ていた。

つまり弱くても、チーム数が少ないから上に勝ち進めるというワケだ。

その結果が、女子=世界4位、男子=世界18位の差なのだと思う。

 

子どもたちを育ててゆくことが、未来の全日本の為になるはずなのに、

トップレベルの競技団体は、そこを見ずに、勝てる希望の薄い全日本に対して、

旧態依然とした「気持ち」「意識」「団結」なんて事ばかり言って、本質を見ない。

 

勝ち目のない戦を全力で玉砕させられて、選手のみなさんが気の毒に思えて、仕方が無いのだ。

そろそろ中央レベルのスポーツ団体は、気付かなければならない。

ボトムアップで、小学生から選手を育成し、一貫して選手を育てられる指導者をもっと沢山作ること。

そのスキームが出来なければ、メダルはおろか、オリンピックの参加もおぼつかないだろう。

 

Ustream その2

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24日の駅伝撮影・中継も無事終わった。しかし、途中PCのバッテリー切れで

大切なシーンが中継できなかった事、アプリケーションに不慣れなせいで、

不必要なテロップが随所に流れた事、反省の多い中継だった。

IMG_0604[1].JPG

にも関わらず、334の視聴があったことは、素直にうれしい限りである。

それほど告知していないし、大学でも内部で告知しただけとのこと。

録画映像も結構見て頂いているようで、今後の自信にもつながるだろう。

Wimax圏外にも関わらず、送信機の工夫で終始安定したエンコードが

できた。これも大きな収穫だ。課題はやはり、電源の確保と、

アプリの習熟だと思った。

さて、翌日の25日は、大学通信教育部の卒業式。

ここでも、Ustreamで中継をする。

これまでは通学課程での中継、それも学内でのLAN回線や、CATV網での

配信だったが、新校舎の建設に伴い、全面的にLAN配信に移行する。

今回はそのデータ取りの意味もあった。

IMG_0606[1].JPG

ところが、前日セッティングでは、肝心のアプリがプロキシサーバー経由では

送信できない事が発覚!

なんだかんだとしているウチに、SEの方のヘルプ&超裏技で、翌日には

解決されていた。

しかし、前日で気になっていた「コマ落ち」がどうも気になる・・・・。

学内LANはかなりの高速で、スピードテストをしても上りで40Mbpsは出ている。

数値上で言えば、HD画質でも送れるはずなのに、800Kbpsでコマ落ちがひどい。

SE氏曰く、「映像はデータのタレ流しに近いから、やはり帯域保証

してやらないと安定しないのでは?」

つまり、映像の帯域である200Kbps?10Mbpsの帯域を予め確保しておくという、

ネットワーク上でのセッティングらしい。

その部分はさすがに昨日の今日というワケにもいかないから、

とにかくNGが出た場合は、学内LANを使わず、必殺Wimaxで送信しようという事で

今日の日を迎えた。

PCを起動して、早速アプリを立ち上げ、WMVデータを送信してみる。

すると、学生のいない日曜日の影響か、学内LANが空いているせいもあって、

サクサクと送信できる。やったぁ!

本番を迎え、送信開始。

 

すると、PCの音声レベルが時折ピーク値までハネ上がる・・・・

ヘッドホンでモニターすると、何やら摩擦音のようなノイズが、断続的に混入する。

結局原因は特定できず、式は進んでいき、中盤あたりで鎮静化した。

 

一難去ってまた一難とは、この事だ・・・。

 

ネットによる生中継は、まだまだいろんな問題が出てくるだろう。

でも、これは可能性を秘めた、すごいメディアだと思う。これまでマスコミに支配されてきた

ライブ配信がいとも簡単にコンシューマーレベルで行えるのだから・・。

だからこそ、大学と共同して、この新しいデバイスを活用するノウハウを構築せねばならない。

もっともっと、実験を繰り返さなければ・・・・。

 

 

LIVE

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この週末に、神戸しあわせの村で関西女子大学駅伝対校選手権が開催される。

全日本で連覇した佛大と、準優勝の立命館はシード校なので、既に全日本大会の出場権を持っているが、

関西地区の強豪校は毎年熱い戦いが繰り広げられる大会である。

シードを除く6位までの4校が全日本の出場権を獲得できるこの大会、今年我々はUstreamを使ってライブ中継の

実験を行うことにした。

17日、ノートPCとカメラ、それにWimaxを持って、神戸しあわせの村へ。

PCを立ち上げ、Wimaxに接続。ここまでは良かった。

しかし、このしあわせの村、どうも「圏外」らしい。実行速度が出ていないようなのだ。

Ustreamから映像を送ってみるが、低速レートでもセッションがすぐに切れてしまう。

途中から雨も降りだしたこともあって、この日のテストは断念。配信をするかどうかは、会議でスタッフの意見を

聞いてみることにした。

20110921 081.JPG

で、今日。

折しも15号台風で大学へ行けなくなったため、全員が事務所勤務となったが、前日にオークションで手に入れた

USBタイプのWimax通信アダプタを使って、ボウルにアルミ箔を貼り、パラボラアンテナを自作して、アンテナの利得を

上げられないか、実験してみた。

事務所でUSBをオスーメスケーブルで延長し、三脚の先端に取り付ける。

折しもわが社の特殊工作班Oが、自宅から使わなくなったBSパラボラを持ってきた。これで実験。

すると、方向によっては結構な速度が出ることを発見。下りパラボラ効果がものすごく出た。

しかし、上りが良くない。逆にパラボラでレートが落ちることもしばしばだった。

そこで、会議での結論を出さず、早めに切り上げて、急きょ神戸に向かうことにした。

神戸着。

まだ風が強いが、とりあえずPCを立ち上げ、USB通信ユニットを三脚の上に貼り付け、

スピードテストで計測。

すると、ある場所では下り2.4Mbps 上り700Kbpsでることが分かった。

これなら、低速ビットレートで配信できる。

さっそくカメラをつなぎ、配信テスト開始。

20110921 085.JPG

約15分、映像を送ってみたが、心配していたコマ落ちも少なく、比較的スムーズに

映像が出るようだ。

これで結論。24日はGOである。

 

思えば、ネットで音を配信する事から始まった我々の事業だが、

当初からライブ配信は、秘めた「念願」であった。

クラウドが発達した今、こんなに簡単に映像のライブ配信が出来ようとは、

当時の誰が、想像できただろう。

9/24日、佛大陸上部HPでライブ配信。Ustreamからはtrymaxで検索して下さい。

http://www.bukkyo-u.ac.jp/club/rikujou/

あとは、ノートPCのバッテリーがどこまでもつかです。

 

ss

終焉なのか再構築なのか

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最近、「テレビが面白くない」というセリフをよく聞く。

見たい番組が無いとか、バラエティばっかりとか、

そういった類の言葉だ。

高校時代から放送の仕事に憧れて、たいそう遠回りをして

テレビ番組を創る仕事に携われるようになったのに、

どうにも最近のテレビの体たらくぶりが、目について仕方がない。

東海テレビのセシウムさんテロップとか、

陸前高田の薪を、五山送り火で燃やすのが中止になって苦情殺到とか、

なんか、おかしい。

 

あ、送り火の件は、ニュースによる風評被害の事ですよ。

 

あの送り火での薪の一件、FB友の先生が真相を書いてくれてビックリしたのだが、

そもそも陸前高田の薪を送り火で燃やす計画は、送り火保存会とは

関係のない人の発案だったらしく、

かなり環境整備が整ったあたりまで、当の大文字保存会は知らなかったらしい。

それが、報道のやり方で、大文字保存会が企画して、勝手に断った的な論調で

世間に流れたようだ。

この事実、未だに新聞もテレビも伝えていない。

 

さて、東海テレビ。

先日、Youtubeでその放送とお詫び放送を見た。

 

「ふざけ心」なんだそうです。

 

造語?

 

ひたすら局アナが謝ってたけど、どうしようもない。

 

これも色んな論調があるけど、

いわゆる「ふざけ心」のテロップを作った、50歳のスタッフは当然問題だが、

リハーサル時点でそれが議論にも上らなかったことのほうが、よほど問題と思う。

テレビの現場は分業制なので、他人の職域には口を出さないという「暗黙知」があるが、

それにしても、時節がらやったらアカンことくらい、気がつくやると思う。

 

セシウムで思い出した。

 

いつかのY新聞の見出し。

福島周辺の農家の、放射能汚染のニュースで、

放射能が基準値を上回ってた牛を、わざわざ「セシウム牛」と表記していた。

これは、風評被害につながらないのか。

 

テレビ・新聞を含めた様々な媒体の知的レベルが、もう、ボロボロになっているようだ。

バラエティは吉本タレントの学芸会みたいになってるし、

ワイドショーのコメンテーターは、自分の専門外の事を、さも自分は知識人ですよと

言わんばかりに、的を得ない、木で鼻をくくったようなコメントを無責任に言う。

いくら低予算になったとはいえ、そこまであからさまに質を落とすのは、

なんでなんだろうと思う。

 

もう、テレビは終わったのだろうか?

それとも、もう一度再構築して、これからのメディアのあり方を問うものなのか?

いずれにせよ、テレビは危ない。

テレビで言ってることが、必ずしも真実なのでは無い。

 

そこらへんの事を全く分かってないのが、逆に問題なのである。

原点

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自分が映像の仕事をやろうと思った、原点のような作品。

 

会社を辞めて1年後ぐらいだったと思う。

いわゆる、放送業界に戻って、構成作家などという、その末席の末席に加えて頂き、

試行錯誤を続けてたころ、

仕事仲間だった$10からお声がかかって、舞台でのVTRを作らせてもらった。

まだ二人も時間に余裕があって、自分の依頼するロケにもついてきてくれた。

今見たら、まぁ手法は稚拙なれど、勢いのある映像だな、と思う。

1987年、映像をやりたくて始めた、趣味みたいなものが、

2000年、ようやくプロと認めてもらえるようになった、そんな仕事だった。

 

あの頃の情熱は、消えてはいないか。

 

改めて、自問自答し、明日に向かいたい。

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※この時計の時刻は、あんたはんのパソコンのもんどす。必ずしも正確な時間ではあらしまへん。

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