愛国心その2

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facebookも100人を超える方とつながると、なかなかストレートな事が言えなくなるなぁと、うすうす感じていたので、「主張はしたいけど、知ってる人だけ見てね」的なことは、個人のブログに書こうと思う。

なぜひっそりと、自分でブログを設置しているかというと、モチロン自分の商売の、勉強のためでもあるし、既製のブログがめんどくさいといううのもある。

だけど今、MT5にアクセスしてログインしてを繰り返し、そして別のメーカー製ブログを触ってみて、
操作性に関しては、どっこいどっこいやなと感じた次第である(苦笑)。

さて、今回の表題は愛国心の続き。

今朝の新聞では、ご存知尖閣諸島に中国の船が6隻接近し、領海侵犯したという話と、上海あたりで日本人が襲われているという話があった。そこから思った雑感です。

中国の愛国教育は、今回の行動や大規模デモで分かるように、非常に峻烈なもので、若年層を中心とした国民は、日々の不満を国外、しかも中国に対抗姿勢を見せる勢力に対して敢然と牙をむく行動を示す。そこで内政に対する不満を巧みに外側に振り向け、国民の支持があるかのような偏向した世論をバックに対外的な圧力をかけるという手法であるが、これは中国共産党の政策の賜物では無いかと思う。見事な洗脳ぶりで、これを払拭するのは結構な時間がかかるだろう。

そういう意味では、日本では愛国教育なるものは、ほんの10数年前までタブー視されていた。「国を愛する」なんか言った日にゃ、「あいつは右翼だ」「軍国主義」「危険思想」のレッテルを貼られ、国旗や国歌に、さほど敬意を払わない国民であったように思う。

それが今どうだろう。
「右傾化」と言えば語弊があるかも知れないが、確実に愛国心を持った人たちが自分たちの主義・主張を表出するようになった。
それは、例えばサッカー日本代表戦のセレモニーなどで国旗掲揚と国歌斉唱がひとつのプロトコルとして世界標準になっており、スタジアムの全員が起立・脱帽して斉唱していることや、近年、あまりにも他国の領土侵犯が陰湿かつ不遜なふるまいによって続いている事への、正直な「怒り」であるように思う。

そこには、中国共産党によって「洗脳」された、全く謝った歴史観による「愛国心」持った若者が、自分たちの直情によって起こした過激な行動(日本大使館への攻撃、サイバーテロ、サッカー国際試合での傍若無人ぶり)などに刺激され、奮起した日本の若い人たちもあるだろう。

残念ながら日本は全くその逆で、戦後の教育でさえ旧ソ連の共産主義勢力に「洗脳」され、周辺国に対して行った諸々の行為は全て「侵略」という言葉に統一され、ひたすら謝罪し続けるというスパイラルに嵌っていたのである。いや、もっと恐ろしいのは、ひたすら享楽的なものに誘導させ、政治や文化に関心を持たせず、国家間の争いごとや我が国の主権に関することを、今度は「平和」という言葉に統一して教え、「戦いは悪」「話し合えば分かる」と、意図的に本質から関心をそらした教育システムではないだろうか。

僕らが小学生の頃、憲法9条がいかに世界に誇れるものであるかを滔滔と説いた教科書が殆どだったと記憶している。戦前の日本、つまり大日本帝国には忌避感を感じさせ、誰もが平等であり、平和を希求する日本国憲法を教条的に信奉させてしまったことに、多くの原因が潜んでいるように思うのである。

もちろん、戦前の価値観が全て正しいワケでも、ましてや今の憲法の精神が完全に誤っているワケでも無い。
だが、戦後のウヤムヤの中で、何かしら我が国以外の勢力が潜入して、日本人の価値観を巧みに誘導し、すっかり骨抜きにしてしまったのは、今のこの日本の様々な病理を俯瞰する限り、「事実」では無いかと考える。そして今、成長戦略に陰りが見え始め、国民はそれまでの「猛進」をいったん止め、冷静にこれまでの足取りを振り返ったのである。そこに、大きなものを奪われたことに、やっと気付いたのである。

それは、個人の尊厳と同じほど重い、国の尊厳だと思う。我々日本人がファンダメンタルズとして持つ、「日本の心」である。

平和は、与えられるものではなく、自ら勝ち取るものなのだ。

かつて、アメリカに守ってもらうための条約に猛反対した人たちがいた。

その人たちは、自分たちの校舎に立てこもり、自主独立を訴え、押しつけられる「平和」を拒んだ。

その人たちの思想がどうであれ、国の存亡に関わることには、敢然と立つ人がいたのである。今ではそういう考えを持つ若い人がいない。いないという事は、そういう教育を意図的に排除したという事である。ここに、件の共産主義勢力の陰惨なトラップが見え隠れするのである。

つい最近、いじめ問題などで教育システムに対する批判が相次いでいる。教育界もここ数年大きく変わろうとしている。
しかし仕組みはどうあれ、国を愛するという教育は決して捨ててはならないのではないか。愛国心はマクロ的思想から考えれば「隣人愛」とは相反しないものである。

自分たちの住む、或いは育った土地への「郷土愛」なくして、「共生き」など出来る筈がない。

人間は宙に浮いて生活しているワケでは無いのだから・・・。

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このページは、911carrera_kero4が2012年9月15日 08:43に書いたブログ記事です。

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