記事一覧

初・北海道

ファイル 49-1.jpg

5日~7日まで、仕事で札幌に行った。
初の北海道ということで、さぞ涼しかろうと思ったら、
意外や意外、蒸し暑かった。
5日は主だった場所の風景をロケして回って、
6日は大学の催しの撮影。
九州・福岡でも同じような内容のイベントをやっていて、
テレビ会議をやっていた。

NTTからの光回線を通じた映像は十分実用に耐えうるもので、
結果は大成功。
日本の端と端、2会場がかなり盛り上がったのは言うまでもない。

というように、キッチリ仕事をしたら、まずは北海道の味を
堪能せねば・・・と、
初日はサッポロビール園でジンギスカンの食べ放題
2日目、某誌お勧めの店でスープカリー。
3日目、二条市場にて海鮮丼と
まぁ、早い話がたらふく食ったのである。

どれぐらい美味いかと聞かれると、そりゃもう、
ムチャクチャ美味い!
絶対にもう一回来たいと思わせる、出張だった。
でも冬に行くのはイヤだな・・・(笑)

あ、オチがひとつ・・・・
2kg、増えてました(苦)。

やっちまったなぁ!

ファイル 48-1.jpg

某日朝の名神高速
天王山を抜けた、緩やかなカーブからの合流を
やり過ごすと、追い越し車線の遅いクルマが
いったん、中央の車線に戻ります。

すると桂SAあたりまで、長~い直線が・・・
これ、結構そそられるのですが、
ルームミラーを見てから、アクセル踏みましょう。
私がミラーを見たとき、バンパー下に
カバーの付いたフォグランプのあるクラウンさんが
シュッと中央車線に・・・

ここは80km/h制限。
で、ゆっくりと私も中央車線に。
すると後ろのマークXがスルスルっと出て、
パァァ・・・っと行った瞬間でした。

左から見つからないように近づいて、
一瞬で屋根から赤色灯がパカッ!
で、終わりでした。

安全運転しましょう。
後ろにも気を配って・・・(笑)

TOMMYKAIRA

サラリーマン時代だった10ン年前、自分はクルマの番組を作っていた。
タレントの長原成樹君が司会の15分番組だった。
作るキッカケは当時のしょうもない社内事情なので割愛するが、
この仕事、8ヶ月続き、お陰でただのクルマ好きにも関わらず
いろんなメーカーのいろんなクルマに乗ることが出来た。
90年代の国産車はまだRVやらが出だす初期で、
スポーツカーも元気いっぱいの頃だったと記憶している。

撮影場所は契約で嵐山高雄パークウェイ。
早朝に試乗するクルマを陸送して、
数時間走りを撮り、
その後はディーラーへ行くなり、特殊なクルマだと
そのままオーナーと対談したり・・・。
京都はそういった面では、クルマが映えるロケーションが
豊富だった。
そんな中で、前から気になってたのがトミーカイラ。
もっと昔はスーパーカーで鳴らした、あのトミタオートである。
日産プリンスを担当していた自分は、同じくスカイラインを
チューニングして完成車で販売しているトミタオートとも
つながりがあった。
その紹介で、ぜひとも・・・というか半ば強引に
最終回の収録をトミタオートでやらせてもらおうと、
交渉に行った。
当時のトミーカイラは結構イケイケになってて、
なかなか社長に会う事すら適わなかった。
何回も通って企画書を渡し、ようやく会ってもらえる事になったのが、
大震災の前、94年12月だった。
元ガイシャ屋で、一代でチューンドコンプリートを世に出した
富田社長とは、いったいどんな人やろう・・・
恐々社長室を訪ねたら・・開口一番
「年取るのはイヤやね・・・歯ぁが弱くなってモノ言うのおっくうになる」
怖そうな、いかつ~いオッサンと思ってた自分のイメージが
ガラガラ・・・と崩れていった。
自分は番組の中身を説明した。
タレント長原成樹のキャラクター、ローカル番組だけどコンセプトは
大きいですとか、まぁ半分ぐらい吹いてたけど、
とにかく熱くなって話をした。

すると富田社長は、こんどデビューする完全オリジナルの
スポーツカーの話をしてくれた。
トミーカイラZZの事だ。
その時の写真はまだテストベッドだった。雑誌にもまだ載せてない
写真だと話していた。
そのスポーツカーの話で、富田社長の話と、クルマへの「夢」を
成樹君と語ってもらえませんかという話になった。
こうなったら社長が出てくれたら、クルマの走行シーンなんかええわいとも
思っていた。
後にさすがにクルマの番組で写真だけで実車が出ないのはアカンでしょうとディレクターに言われ、
そしたら・・という事で、スバルにお願いしてM20bという、
インプレッサベースのコンプリートカーを貸してもらった。

段取りも打合せも進みやがて新年が明け、成樹君のスケジュールも
調整できて、1月20日にロケが決まった。
95年1月20日。大震災の3日後である。
あの1.17の衝撃も覚めやらぬままに、ロケは中止にするかどうか、ギリギリまで悩んだ。
幸いにもスタッフも関係各位も被災しておらず、
1月20日早朝、成樹君を乗せて高雄パークウェイの入り口へ行った。
実はその時、自分も成樹君も高熱が出てフラフラだった。
それでもなんとか2本撮り終わって、ついでにM20bを思う存分
ブッ飛ばし、午後の富田社長との対談になった。

この放送回のテープは今でも自分の記念として残している。
自分は大震災が半ばキッカケとなって、この数年後会社を辞めるのだが、
以後富田社長とは色々とお世話になった。成樹君企画のカートレースでは東京の大手カー雑誌の編集長を紹介してもらい、大々的に
扱ってもらったし、童夢の奥専務や元レーザーの松本恵二さんも
紹介してもらった。自分のようなちっぽけな人間にも、
ちゃんと対応して頂いた、尊敬すべき事業家だったのである。

そういえばトミーカイラZZは東京で大々的なレセプションをやった。自分も有難いことにその会に
呼んで頂いた。ゲストには今でもクルマ業界の偉大なる面々、
童夢の林ミノル、デザイナーの由良拓也、トムスの舘社長といった、大物が揃っていた。
自分はそれだけでも、何故かウキウキしたものだ・・・。

トミーカイラはその後色々な変遷を経て結局倒産してしまったそうだ。当時50歳を過ぎていた富田さんだったが、
最近またまた復活されたそうで、少しうれしくなった。
http://ajp.cocolog-nifty.com/tommyzz/
バイタリティー溢れる活動は当時より若返っておられるかも知れない。
もうなかなかお会いするチャンスはないけれど、いつか再会できたら、また夢のある話でもりあがりたいものだ・・・

夏休み

ファイル 46-1.jpg

もんのすっごく久しぶりに盆休みができた。
去年、仕事で互いのお墓参りもできていなかったので
取り急ぎ墓参りからスタートした。

しかし、最近は台風接近の影響か風のおかげで
すこし涼しいが、10日・11日ごろは暑いのなんの・・・
いくら水を飲んでも足りないぐらいの暑さだった。

12日からは義妹一家と共に奥美濃へ。
この写真は妻の姪っこチャン、4歳。
東海北陸道・川島SAでのヒトコマです。
噴水が出てくるのをビビりつつ待っているところ(笑)
姉にもそれぞれ2人ずつ女の子がいて、
(つまり4人いるっちゅう事ですな)
もう全員が立派な社会人&大学生なんやけど、
まぁ、姪というのはなかなか可愛いもんです。
でも、自分にはまだ子供がいないので、
実際に接するのは、少し恐々だったりして・・・。

そんなこんなで、テレビを見ない日々が何日かあったけど、
オリンピックは順調に進んでるようだ。
我らが男子バレーボールは目下のところ3連敗と
さすがに厳しい結果だけど、
それでもやはり、これだけ規模の大きな国際大会に出られるという
だけでも、16年間閉ざされてきたものが開いたのだから、
次に期待でもいいかな・・・なんて思うのだ。

・・でもって、金メダルが確実と言われる女子レスリング決勝を
中継で見ていた。
期待どおり、吉田選手が見事金メダルに輝いた。
中国で掲げられる日の丸を、中国の人はどう見るだろう。
なんか、複雑なのかなぁ・・・。
表彰式を見る限りは冷静に見えるけど、
先日の女子サッカーでは小競り合いがあったと聞く。

これも偏向した教育と情報のせいなのかと思う。
いくら民主化したと言っても、中国は一党独裁なのだから・・

8月も後半に入る。今日は京都では送り火、
そして今、猪名川では花火大会をやっている。
暑いけどまだまだ頑張らなぁ!

情報

インターネットが世の中に普及して10年以上が過ぎ、
今では生活の中でかなり重要な情報入手の手段になっている。
昔は新聞に始まり、ラジオ、テレビといったマスメディアが
発達し、そして双方向の通信手段としてインターネットが
出現した。
コンピュータが一般的に普及するのにも、インターネットは
重要な役割を演じたと思う。光ファイバーは回線スピードと
容量を大幅に拡大し、今では動画圧縮技術の発展と相まって
ハイビジョンの映像もネットで配信できるようになった。

しかし、インターネットを使った犯罪は一向に減らない。
秋葉原の無差別殺人から連鎖して、通り魔がえらく増えた。
ニュースは連日、突然人が刺されたという事件を
とてもセンセーショナルに報道している。
そのニュースを見たどっかのヴァカが、模倣犯として街を跋扈するワケだ。
悪夢の連鎖はまだまだ、続くのである。

情報は我々にとって、必要なものと不必要なものとがある。
不幸な事に、人間の脳には情報の「質」を判断する能力は
持っていない。あふれ出てくる情報を、うまく選別して理解する
ということに長けていないのだ。
オトナでさえ難しい情報の入手なのに、子供たちはどうなるのか・・・。

インターネットがインフラ先行で普及した故に、様々な”歪”が
出ているようだ。ネットゲームによる引きこもりや掲示板への
「殺す」などの書き込み、はたまたスパムメールや出会い系など、
インターネットを利用する「手段」は無法化の状態が今も続いている。

今では「情報」という授業があるそうだ。
国の施策としてIT国家を目指すのだから当然といえば当然だが、
最近の少年犯罪や学校裏サイトなんかを見ていると、どうも教育
サイドではネット利用の「モラル」についてはなかなか教えていないようだ。

自分はこのことが不思議に思えてならない。
インターネットがこれだけ一般化されても、我々のような「オトナ」の社会は、
もともとこういったインフラが存在しなかっただけに、使う段には結構、「臆病」である。
要はインターネットの存在が「後付けの文化」だからだ。
それに対して最近の少年少女は生まれた頃には既にインターネットは存在していて、
使うことが生活において「当たり前」のように捉えている。
「免疫」がないから、リアルとヴァーチャルの区別がつかないワケだ。
つまり大人と子供では、後から来たものと元来あるものという、おおきな認識の相違がある。
だからあえて言いたいのだ。
ネットを利用するための教育ならば、まず「モラル」から教えろ、と。

人を傷つける行為が決して許されないなのはリアルでもヴァーチャルでも同じなのだと・・・。

機中の人

ファイル 44-1.jpg

仙台発JEX2206便で大阪へ。
今朝まで、山形県蔵王にいた。
ブレイザーズ強化合宿の取材は2回目。
関東地方に停滞前線があった影響で、雨続きだった。
おかげで湿気はあるものの24℃という、快適な3日間であった。

MD81は2/3人がけのシートで狭い。
チームと同じ便で戻るため、別々にチケットを入手したら
前から4番目の窓際という、なかなか良いポジションに座れた。
「前線の影響で積乱雲が発生していて、迂回します」と
機長からのアナウンスがあり、しばらくすると
生クリームをてんこ盛りにしたような、積乱雲の大群が
眼下に広がった。
思わずキヤノンHF10を取り出して撮ったのがこの写真。
動画から静止画に変換して、縮小してあります。

この下あたりは結構な雨なんだろうな・・・と思いつつ撮ったこのシーン
実際には約20分ぐらいだろうか。愛知県上空あたりまで
積乱雲の大群は空の上でゆっくりと動いていた。

奈良県を東から西へ飛び、生駒を越えたら大阪平野が見えてくる。
3日前の、あのクソ暑い空が大阪湾へと広がってゆく。
見慣れた景色。どんよりとした大阪の街。
下降の準備に入る、ギア・ダウンの音と共に、エンジンの出力を
絞ったような、一瞬の静寂・・・・。

大阪城、アプローズタワー、淀川を超え、新大阪、服部
そして32R滑走路に着陸。

ドアが開く。
おぞましい位の熱気。
現実に引き戻された瞬間だった。

これからが本格的な夏だ。

79.7

周波数では、ありません。
約1年半ぶりに戻った、私の体重であります。
「幸せ太り」などともてはやされ、
グングン上昇を続けた私の体重も4月ごろまでとどまるところを知らず、
「このままだと嫌いになる」とヨメに言われ、
一念発起のレコーディング・ダイエットを開始したのでした。

と言っても、レコーディング・・・は実は2004年にやってて、
その時は78kg→63kgまで見事に成功したのです。
さてここからは運動をして体重維持をしようと・・・
ところがうまくはいかないもので、その年の年末に親父が他界し、
マンション一人暮らしで節制していた食生活は、母のケアの為に
実家での夕食と変わり、
更に追い討ちをかけたのは「そけいヘルニア」の発症で宣告された
「運動禁止」。
暴れたら腸出るよのひとことが私を引きこもりにさせたのでした(笑)。

63kgはみるみるうちに70kg台に戻り、
結婚してからは急成長です。
あっという間に80kg台を突破。
そしてある日の健康診断であっちこっちの数値が危険ゾーンと判明。
以来3ヶ月で見事8kgの減量に成功です。
(という事は、マックス88kgまで太ってしまったんや・・・)

今回はどうしたか。レコーディング・・・の成功例があるだけに、
今度は少しペースを落とし気味にして、しかも運動(スポーツジム)
しながらの減量であります。
折からの燃料高騰で電車利用に切り替え、まずは基礎代謝を元の状態に
戻そうとしました。

結構、食べるときは食べ、呑むときは呑んでます。
レコーディング・・・の良さは、自分にある程度の危機感が
芽生えることでしょうか。
いずれにせよ、まずは結婚前の体重に戻し、そこから時間をかけて
60kg台に持っていこうと思います。

頑張るよぉ~

70's

ファイル 42-1.jpgファイル 42-2.jpgファイル 42-3.jpg

我が愛用の通勤の友・ipodも最近ライブラリーが変わってきて、
ちょっと懐かしい、70年代のアメリカンポップスを聴いている。
Tom JonesはホンダのCMにも使われてて有名だけど、
もうちょっと掘り下げて、懐かしいところを入手した。
グレン・キャンベル
エンゲルベルト・フンパーディンク
ニール・ダイアモンド
ここいらは割りと有名な曲がいっぱい出てて、
B.Jトーマス・ピーター&ゴードンなんてのも
けっこう良いです。

今の音楽とどう違うねんと聞かれると、
これはもう、「音の厚みが決定的に違う」と答える。
まずあらかたの楽曲がフルバンドの演奏だし、
それに加えてアーティスト本人の歌唱力か圧倒的だ。
なんか総合力で「これでもかっ」てぐらい
バランスのとれた音楽だ。
ミキシングも、当時の真空管系のウォーミィートーンで
高域や低域がおかしな強調がなされていないし、
大きなスタジオとバカでかい鉄板リバーヴを使ったような
深みのあるリバーヴがよろしい。

ちなみに僕はこの前のハワイに行ったとき、
朝ヨットハーバーにipodを持って出かけた。
当然、こういうシチュエーションのために入れておいた
大御所の名曲を聴くと
もう気分は最高っす!

ハワイに行ったらアレしてコレして・・・という行程では
あったのだが、比較的朝はゆったりした行動だったので
セカセカ動き回るシチュエーションだと合わなかったかも
知れない。

70年代ポップスというと、僕らのメーンストリームとは
若干はずれていて、実は僕らの兄貴・姉貴の世代だ。
僕の姉二人はそれぞれ8つ、7つ上だから、
このあたりの方々が聞くと「青春ピンポイント!」に
なると思う。
でもあの頃のテレビ・ラジオで頻繁に流れてた曲なので、
どの曲も、なぜか懐かしい雰囲気になるのだなぁ・・・。

皆さんも一度、聴いてみて下さい。

HAWAII

ファイル 41-1.jpg

10日ほどハワイに行ってきた。
4回目のハワイ。
奥様は8回め。もう、ベテランだ。
今回も奥様の親友でハワイ在住のユキちゃんと
旦那様のScott氏にたいそうお世話になった。

空港に降りた瞬間わかるのは、
あの底抜けに青い空と
明らかに日本とは違う、涼しげに乾いた空気。
日差しは強いものの、日陰はとても涼しくて、
昼寝にはもってこいの気候だ。

今回もレンタカーを借りて、あちこち買い物・・・
アラモアナ・ワイケレ、ワードセンター・DFSと
ウロウロの毎日・・・。
お陰でワイキキの地理が少し理解できた。
当然のようにハワイは右側通行なのだが、
大通りや一方通行に面した道路は右左折レーンが多くて困った。
信号のシステムは日本と一緒だから、車線区分さえ覚えれば、
けっこう乗れると思う。

そうそう、今回はちょっと趣味的なことをやったろと思い、
短波ラジオを持っていった。
ほぼ太平洋のど真ん中だから、両大陸の海外放送を聴いてやれと
思い、十数年前に買ったがまだ現役機のICF7600を
持ち込んだのだが・・・

滞在先のフォブロン・レーンはアラモアナの対岸、ワイキキの西側
なのだが、アラモアナのすぐ裏あたりにテレビ局があって、
しかもでっかいアンテナが立っていた。パラボラが上に乗って
ないところを見ると、どうもあそこから電波がでているようで、
いわゆる「強電界地域」だったようだ。
結局、滞在先ではほとんどの短波がNG、中波の地元局と不明だが
長波局が聴こえた。
それでは気分が収まらないので、ワイケレ・アウトレットに
出かけた時に持って行った。(奥様が買い物してる間ヒマだから・・)

するとまぁ、感度良好バッチリ入ってきた。ヨーロッパもアメリカも、
出力100KWあたりの国際放送はクリヤーに聴こえる。
これだとダイヤモンドヘッドだとか、ノースショアなんか行ったら
もっと良く聞こえるだろうな。今度はそっちに行って聞きたいもんだ。

4回もハワイに行ったら飽きるかな・・・なんて不安があったけど
どうしてどうして・・・海外旅行の定番とも言えるハワイは
ビギナーにはビギナーの、リピーターにはリピーターの楽しみ方が
あった。
さぁキバって働いて、来年も行けるように頑張るでぇ!

結実

ファイル 40-1.jpg

7日行われたOQTアルゼンチン戦はフルセットの末、日本が勝利し、16年ぶりのオリンピック出場が決まった。
我らがブレイザーズから代表入りしたゴッツ、朝長も連日の大活躍で、ついに悲願達成となった瞬間だった。
約7年前、中田なおき氏から撮影の依頼を受けて始まったバレーボールとのつきあい。当時は堺ブレイザーズが
新日鉄ブレイザーズから変わった最初の年で、
あの植田監督が初代のブレイザーズ監督だった。
現監督の中垣内氏はまだ現役で、確かイタリアへ肩の手術に行ってたと記憶している。
バルセロナから16年。植田・中垣内・荻野はその選手だった。
くしくも監督・選手・解説と立場は異なれど、一度閉ざされてしまった世界の扉が開くその瞬間に彼らがいたのは、
決して奇遇ではあるまい。
アテネのOQTでは世界のレベルに追いつけない男子には注目が集まらず、
逆に女子はスター選手の台頭著しく、華やかな脚光を浴びていた・・・・

それでも男子バレーの人気はなかったのかというと、決してそでだは無かった。
Vリーグ、Vプレミアリーグでは女子より男子のほうが観客動員数は多く、スピードもパワーも勝る男子バレーの魅力は、
少しづつ復活ののろしをあげていたのだった。

Vリーグではサントリーが6連覇を達成しそうな勢いにようやく他チームが追いつき、2004年は東レ、
そして2005年シーズンは我らがブレイザーズが日本一となった。
それだけ日本のバレーボールもレベルが高かったし、
なによりいち早くクラブチーム化して、地域のスポーツチームとして活動を始めたブレイザーズの功績はかなり高いと思う。

昨夜のスポーツニュースで植田監督の話した言葉が印象に残る。
「この勝利でバレー界が変わります」
確かに、この勝利は本当に大きな1勝だ。
低迷する影響で男子バレーの競技人口は激減し、指導者の不足から
男子バレー部のない学校が激増した。事実、豊中市内の公立中学校では18校のうち3校しかバレー部がないらしい。
堺でも少年チームがどんどん減っている傾向だと聞く。
ブレイザーズもそういった傾向に歯止めをかけようと、堺市内での
巡回バレー教室をはじめ、各地に出て教室を開催している。
そんな地道な活動にも選手は積極的に出て、本当に頑張って
なんとか男子バレーボールに注目してもらおうと、努力してきたのだ。
この勝利は、そんな男子バレーボールに関わるすべての人々の、
エネルギーの結集ではなかったかと思う。
サッカーも98年のワールドカップ出場で、低迷していたJリーグ人気が回復した。やはり「全日本」と名乗るチームは、
強くなければならないのだと、つくづく思った。

本当におめでとう!
ということで写真は我が家のベランダで赤くなりはじめた
プチトマトでございます♪

プロフィール

ただいまの時刻

※この時計の時刻は、あんたはんのパソコンのもんどす。必ずしも正確な時間ではあらしまへん。

過去ログ