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Last Season

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ブレイザーズの朝長選手が今季限りで引退する。
先日、その記者会見があった。
豊田合成からブレイザ-ズに移籍するとき、既に
北京オリンピック終了時点で教員になるという
ライフプランだったのだそうだ。

北京OQTで注目を集め、これから「旬」というときに
なんともモッタイナイと思ったのだが、
高校の教員として、指導者の道を歩むには
決して早いことはないのだそうだ。

いずれまた、朝長先生の指導を受けた全日本選手が
5年後、10年後、活躍してくれるのかもしれない。

それはそれで楽しみなことである。
8日から始まるVプレミアリーグ。
彼のラストイヤーが始まる。

あっ、
ちなみにこの写真、引退会見の1時間前です。
ダブルピースって、ホンマに28かぁ?(笑)

スポーツ雑感

巨人の連覇という、関西人にとってはなんとも情けない事態で
セリーグも終わり、残すはクライマックスシリーズと
日本選手権になった。

自分としては1ヵ月後の08-09Vプレミアリーグで
仕事を含めて色々準備しないといけないので、
プロ野球は09年春までどっか本棚にでもしまっておこうと思っている。
まぁ、都合の良い納め方かな(笑)・・・

バレーボールの応援団で4年過ごしたおかげで、
「負け」にたいしては感情移入をしなくなった。毎週末の
試合で応援していると、負けられると精神的に参ってしまう。
バレーボールは野球と違って必ず決着のつくゲームだから、
試合の2時間後のコンディションを考えると、なんとも言えない
ノドの乾きとおかしな緊張感にさいなまれるのである。

おそらく1週間か2週間後には、どこかの週刊誌でタイガースの
ゴシップめいた記事が紙面を飾るのだろう。それを見て一喜一憂するファンが
根拠のない中傷をネット上で展開するのかと思うと、
負けた事実よりも胸くその悪い事である。

応援団の頃印象的に思ったのは、「決して選手やプレーを批判しない」という事だった。
そりゃあ人間なのだから負けることだってある。負けたら悔しいに決まってるのだけど、
一番負けて悔しい思いなのは、誰をさしおいて実際にプレーしている選手や監督なのだ。
コートに立ってもいないのに、何をもってブツクサ言えるのか。
「ファンなら」「ファンだったら」
そういうところを慮ってやるのが、ファンじゃあないのか・・・

誰もが「監督」になりたがり、
誰もが「キャプテン」になりたがる。
タイガースなんか監督がいったい何万人いてるねんという位、
大阪じゅうに散らばっている(笑)。

そういう的外れの「声」をメディアが拾って、声高に言う。
つまらん世論が、いつのまにか「正論」に化けてしまうのだ。
分からんではないのだが、ぐっと堪えようよと・・・

なんだかなぁ・・・
ハッキリと答えは出せないけど、
エンターテイメントとしてのスポーツが「暴走」したような、
行き過ぎてしまった事の、結果なのかも知れないな・・・。

梅安、逝く・・・・・。

俳優の緒形拳さんが亡くなったという報道を朝のテレビで知った。
緒形拳といえば、自分はなんと言っても
「必殺仕掛人」の藤枝梅安だ。
それも映画じゃなく、ドラマのほう。
元締の音羽屋衛門に山村総、浪人・西村左内に林与一、
情報屋の仙三には当時津坂国章と名乗っていた秋野太作。
中村玉緒も出てたぞ・・・

文字どおり「必殺シリーズ」の元祖なわけで、
殺しのシーンに使われるトランペットのイントロや、
マカロニ・ウェスタン風のBGMといい、当時の時代劇では
考えられないほどの斬新さで、あっと言う間に
「木枯らし紋次郎」を抜いていったのだった。

今では必殺は藤田まこと師匠の代名詞になっているが、
中村主水がデビューしたのは次作「必殺仕置人」である。
これもカッコよかった。(かなり泥臭かったけど)
そうそう、後から分かった事だが、仕掛人の監督には
あの深作欣二も就いていたというから驚きだ。
深作映画といえば東映の「仁義なき・・」シリーズが有名だが
必殺は京都映画・松竹だ。テレビ映画だから可能だったのかも
知れない。

天井裏からフワッと飛び降りて、相手の首にプスっと突き刺す・・。
あっと言う間の仕事ぶり。
林与一の左内はわざわざ「仕掛人、西村左内」と名乗ってから
一刀のもとに敵を切り捨てる。

そうそう、オープニングのナレーションがまた良かった。
「晴らせぬ恨みを晴らし
 許せぬ人でなしを消す
 いずれも人知れず仕掛けて仕損じなし
 人呼んで仕掛人
 ただしこの稼業
 江戸職業づくしには載っていない・・・」

こうやって映像は人の心に刻みこまれるのだねぇ。
我々も、もっともっと精進せねば・・・

合掌

鍛えてここに甲子園♪

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久々に、甲子園に行った。
奥様に「いっぺん見に行こ」と言ってたので、
仕事仲間である実況アナウンサーの寺西君の
ご尽力を賜り、広島戦を見に行った。
1回にカネちゃんの犠打で1点先行したのに、
初勝利のかかった金村君が誤算・・・・

7回のラッキーセブン。
オモテの広島が攻撃中にジェット風船をふくらませてたら、
予告なく「パンッ!」
割れやがった・・・・

ラッキーセブン用とあとひとりコールの後に飛ばすために
2セット買ったのに、
結局1セットしか使わなかった。
いや、使えなかった。

これで甲子園での観戦は「全敗」・・・・。
しかも翌日、ナゴヤの中日戦、勝ってやがんの。
うぉぉぉぉぉ
どういうこっちゃぁ
ワシに疫病神でも、ついとんのかぁぁぁぁぁ・・・・

初・北海道

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5日~7日まで、仕事で札幌に行った。
初の北海道ということで、さぞ涼しかろうと思ったら、
意外や意外、蒸し暑かった。
5日は主だった場所の風景をロケして回って、
6日は大学の催しの撮影。
九州・福岡でも同じような内容のイベントをやっていて、
テレビ会議をやっていた。

NTTからの光回線を通じた映像は十分実用に耐えうるもので、
結果は大成功。
日本の端と端、2会場がかなり盛り上がったのは言うまでもない。

というように、キッチリ仕事をしたら、まずは北海道の味を
堪能せねば・・・と、
初日はサッポロビール園でジンギスカンの食べ放題
2日目、某誌お勧めの店でスープカリー。
3日目、二条市場にて海鮮丼と
まぁ、早い話がたらふく食ったのである。

どれぐらい美味いかと聞かれると、そりゃもう、
ムチャクチャ美味い!
絶対にもう一回来たいと思わせる、出張だった。
でも冬に行くのはイヤだな・・・(笑)

あ、オチがひとつ・・・・
2kg、増えてました(苦)。

やっちまったなぁ!

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某日朝の名神高速
天王山を抜けた、緩やかなカーブからの合流を
やり過ごすと、追い越し車線の遅いクルマが
いったん、中央の車線に戻ります。

すると桂SAあたりまで、長~い直線が・・・
これ、結構そそられるのですが、
ルームミラーを見てから、アクセル踏みましょう。
私がミラーを見たとき、バンパー下に
カバーの付いたフォグランプのあるクラウンさんが
シュッと中央車線に・・・

ここは80km/h制限。
で、ゆっくりと私も中央車線に。
すると後ろのマークXがスルスルっと出て、
パァァ・・・っと行った瞬間でした。

左から見つからないように近づいて、
一瞬で屋根から赤色灯がパカッ!
で、終わりでした。

安全運転しましょう。
後ろにも気を配って・・・(笑)

TOMMYKAIRA

サラリーマン時代だった10ン年前、自分はクルマの番組を作っていた。
タレントの長原成樹君が司会の15分番組だった。
作るキッカケは当時のしょうもない社内事情なので割愛するが、
この仕事、8ヶ月続き、お陰でただのクルマ好きにも関わらず
いろんなメーカーのいろんなクルマに乗ることが出来た。
90年代の国産車はまだRVやらが出だす初期で、
スポーツカーも元気いっぱいの頃だったと記憶している。

撮影場所は契約で嵐山高雄パークウェイ。
早朝に試乗するクルマを陸送して、
数時間走りを撮り、
その後はディーラーへ行くなり、特殊なクルマだと
そのままオーナーと対談したり・・・。
京都はそういった面では、クルマが映えるロケーションが
豊富だった。
そんな中で、前から気になってたのがトミーカイラ。
もっと昔はスーパーカーで鳴らした、あのトミタオートである。
日産プリンスを担当していた自分は、同じくスカイラインを
チューニングして完成車で販売しているトミタオートとも
つながりがあった。
その紹介で、ぜひとも・・・というか半ば強引に
最終回の収録をトミタオートでやらせてもらおうと、
交渉に行った。
当時のトミーカイラは結構イケイケになってて、
なかなか社長に会う事すら適わなかった。
何回も通って企画書を渡し、ようやく会ってもらえる事になったのが、
大震災の前、94年12月だった。
元ガイシャ屋で、一代でチューンドコンプリートを世に出した
富田社長とは、いったいどんな人やろう・・・
恐々社長室を訪ねたら・・開口一番
「年取るのはイヤやね・・・歯ぁが弱くなってモノ言うのおっくうになる」
怖そうな、いかつ~いオッサンと思ってた自分のイメージが
ガラガラ・・・と崩れていった。
自分は番組の中身を説明した。
タレント長原成樹のキャラクター、ローカル番組だけどコンセプトは
大きいですとか、まぁ半分ぐらい吹いてたけど、
とにかく熱くなって話をした。

すると富田社長は、こんどデビューする完全オリジナルの
スポーツカーの話をしてくれた。
トミーカイラZZの事だ。
その時の写真はまだテストベッドだった。雑誌にもまだ載せてない
写真だと話していた。
そのスポーツカーの話で、富田社長の話と、クルマへの「夢」を
成樹君と語ってもらえませんかという話になった。
こうなったら社長が出てくれたら、クルマの走行シーンなんかええわいとも
思っていた。
後にさすがにクルマの番組で写真だけで実車が出ないのはアカンでしょうとディレクターに言われ、
そしたら・・という事で、スバルにお願いしてM20bという、
インプレッサベースのコンプリートカーを貸してもらった。

段取りも打合せも進みやがて新年が明け、成樹君のスケジュールも
調整できて、1月20日にロケが決まった。
95年1月20日。大震災の3日後である。
あの1.17の衝撃も覚めやらぬままに、ロケは中止にするかどうか、ギリギリまで悩んだ。
幸いにもスタッフも関係各位も被災しておらず、
1月20日早朝、成樹君を乗せて高雄パークウェイの入り口へ行った。
実はその時、自分も成樹君も高熱が出てフラフラだった。
それでもなんとか2本撮り終わって、ついでにM20bを思う存分
ブッ飛ばし、午後の富田社長との対談になった。

この放送回のテープは今でも自分の記念として残している。
自分は大震災が半ばキッカケとなって、この数年後会社を辞めるのだが、
以後富田社長とは色々とお世話になった。成樹君企画のカートレースでは東京の大手カー雑誌の編集長を紹介してもらい、大々的に
扱ってもらったし、童夢の奥専務や元レーザーの松本恵二さんも
紹介してもらった。自分のようなちっぽけな人間にも、
ちゃんと対応して頂いた、尊敬すべき事業家だったのである。

そういえばトミーカイラZZは東京で大々的なレセプションをやった。自分も有難いことにその会に
呼んで頂いた。ゲストには今でもクルマ業界の偉大なる面々、
童夢の林ミノル、デザイナーの由良拓也、トムスの舘社長といった、大物が揃っていた。
自分はそれだけでも、何故かウキウキしたものだ・・・。

トミーカイラはその後色々な変遷を経て結局倒産してしまったそうだ。当時50歳を過ぎていた富田さんだったが、
最近またまた復活されたそうで、少しうれしくなった。
http://ajp.cocolog-nifty.com/tommyzz/
バイタリティー溢れる活動は当時より若返っておられるかも知れない。
もうなかなかお会いするチャンスはないけれど、いつか再会できたら、また夢のある話でもりあがりたいものだ・・・

夏休み

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もんのすっごく久しぶりに盆休みができた。
去年、仕事で互いのお墓参りもできていなかったので
取り急ぎ墓参りからスタートした。

しかし、最近は台風接近の影響か風のおかげで
すこし涼しいが、10日・11日ごろは暑いのなんの・・・
いくら水を飲んでも足りないぐらいの暑さだった。

12日からは義妹一家と共に奥美濃へ。
この写真は妻の姪っこチャン、4歳。
東海北陸道・川島SAでのヒトコマです。
噴水が出てくるのをビビりつつ待っているところ(笑)
姉にもそれぞれ2人ずつ女の子がいて、
(つまり4人いるっちゅう事ですな)
もう全員が立派な社会人&大学生なんやけど、
まぁ、姪というのはなかなか可愛いもんです。
でも、自分にはまだ子供がいないので、
実際に接するのは、少し恐々だったりして・・・。

そんなこんなで、テレビを見ない日々が何日かあったけど、
オリンピックは順調に進んでるようだ。
我らが男子バレーボールは目下のところ3連敗と
さすがに厳しい結果だけど、
それでもやはり、これだけ規模の大きな国際大会に出られるという
だけでも、16年間閉ざされてきたものが開いたのだから、
次に期待でもいいかな・・・なんて思うのだ。

・・でもって、金メダルが確実と言われる女子レスリング決勝を
中継で見ていた。
期待どおり、吉田選手が見事金メダルに輝いた。
中国で掲げられる日の丸を、中国の人はどう見るだろう。
なんか、複雑なのかなぁ・・・。
表彰式を見る限りは冷静に見えるけど、
先日の女子サッカーでは小競り合いがあったと聞く。

これも偏向した教育と情報のせいなのかと思う。
いくら民主化したと言っても、中国は一党独裁なのだから・・

8月も後半に入る。今日は京都では送り火、
そして今、猪名川では花火大会をやっている。
暑いけどまだまだ頑張らなぁ!

情報

インターネットが世の中に普及して10年以上が過ぎ、
今では生活の中でかなり重要な情報入手の手段になっている。
昔は新聞に始まり、ラジオ、テレビといったマスメディアが
発達し、そして双方向の通信手段としてインターネットが
出現した。
コンピュータが一般的に普及するのにも、インターネットは
重要な役割を演じたと思う。光ファイバーは回線スピードと
容量を大幅に拡大し、今では動画圧縮技術の発展と相まって
ハイビジョンの映像もネットで配信できるようになった。

しかし、インターネットを使った犯罪は一向に減らない。
秋葉原の無差別殺人から連鎖して、通り魔がえらく増えた。
ニュースは連日、突然人が刺されたという事件を
とてもセンセーショナルに報道している。
そのニュースを見たどっかのヴァカが、模倣犯として街を跋扈するワケだ。
悪夢の連鎖はまだまだ、続くのである。

情報は我々にとって、必要なものと不必要なものとがある。
不幸な事に、人間の脳には情報の「質」を判断する能力は
持っていない。あふれ出てくる情報を、うまく選別して理解する
ということに長けていないのだ。
オトナでさえ難しい情報の入手なのに、子供たちはどうなるのか・・・。

インターネットがインフラ先行で普及した故に、様々な”歪”が
出ているようだ。ネットゲームによる引きこもりや掲示板への
「殺す」などの書き込み、はたまたスパムメールや出会い系など、
インターネットを利用する「手段」は無法化の状態が今も続いている。

今では「情報」という授業があるそうだ。
国の施策としてIT国家を目指すのだから当然といえば当然だが、
最近の少年犯罪や学校裏サイトなんかを見ていると、どうも教育
サイドではネット利用の「モラル」についてはなかなか教えていないようだ。

自分はこのことが不思議に思えてならない。
インターネットがこれだけ一般化されても、我々のような「オトナ」の社会は、
もともとこういったインフラが存在しなかっただけに、使う段には結構、「臆病」である。
要はインターネットの存在が「後付けの文化」だからだ。
それに対して最近の少年少女は生まれた頃には既にインターネットは存在していて、
使うことが生活において「当たり前」のように捉えている。
「免疫」がないから、リアルとヴァーチャルの区別がつかないワケだ。
つまり大人と子供では、後から来たものと元来あるものという、おおきな認識の相違がある。
だからあえて言いたいのだ。
ネットを利用するための教育ならば、まず「モラル」から教えろ、と。

人を傷つける行為が決して許されないなのはリアルでもヴァーチャルでも同じなのだと・・・。

機中の人

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仙台発JEX2206便で大阪へ。
今朝まで、山形県蔵王にいた。
ブレイザーズ強化合宿の取材は2回目。
関東地方に停滞前線があった影響で、雨続きだった。
おかげで湿気はあるものの24℃という、快適な3日間であった。

MD81は2/3人がけのシートで狭い。
チームと同じ便で戻るため、別々にチケットを入手したら
前から4番目の窓際という、なかなか良いポジションに座れた。
「前線の影響で積乱雲が発生していて、迂回します」と
機長からのアナウンスがあり、しばらくすると
生クリームをてんこ盛りにしたような、積乱雲の大群が
眼下に広がった。
思わずキヤノンHF10を取り出して撮ったのがこの写真。
動画から静止画に変換して、縮小してあります。

この下あたりは結構な雨なんだろうな・・・と思いつつ撮ったこのシーン
実際には約20分ぐらいだろうか。愛知県上空あたりまで
積乱雲の大群は空の上でゆっくりと動いていた。

奈良県を東から西へ飛び、生駒を越えたら大阪平野が見えてくる。
3日前の、あのクソ暑い空が大阪湾へと広がってゆく。
見慣れた景色。どんよりとした大阪の街。
下降の準備に入る、ギア・ダウンの音と共に、エンジンの出力を
絞ったような、一瞬の静寂・・・・。

大阪城、アプローズタワー、淀川を超え、新大阪、服部
そして32R滑走路に着陸。

ドアが開く。
おぞましい位の熱気。
現実に引き戻された瞬間だった。

これからが本格的な夏だ。

プロフィール

ただいまの時刻

※この時計の時刻は、あんたはんのパソコンのもんどす。必ずしも正確な時間ではあらしまへん。

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