サラリーマン時代だった10ン年前、自分はクルマの番組を作っていた。
タレントの長原成樹君が司会の15分番組だった。
作るキッカケは当時のしょうもない社内事情なので割愛するが、
この仕事、8ヶ月続き、お陰でただのクルマ好きにも関わらず
いろんなメーカーのいろんなクルマに乗ることが出来た。
90年代の国産車はまだRVやらが出だす初期で、
スポーツカーも元気いっぱいの頃だったと記憶している。
撮影場所は契約で嵐山高雄パークウェイ。
早朝に試乗するクルマを陸送して、
数時間走りを撮り、
その後はディーラーへ行くなり、特殊なクルマだと
そのままオーナーと対談したり・・・。
京都はそういった面では、クルマが映えるロケーションが
豊富だった。
そんな中で、前から気になってたのがトミーカイラ。
もっと昔はスーパーカーで鳴らした、あのトミタオートである。
日産プリンスを担当していた自分は、同じくスカイラインを
チューニングして完成車で販売しているトミタオートとも
つながりがあった。
その紹介で、ぜひとも・・・というか半ば強引に
最終回の収録をトミタオートでやらせてもらおうと、
交渉に行った。
当時のトミーカイラは結構イケイケになってて、
なかなか社長に会う事すら適わなかった。
何回も通って企画書を渡し、ようやく会ってもらえる事になったのが、
大震災の前、94年12月だった。
元ガイシャ屋で、一代でチューンドコンプリートを世に出した
富田社長とは、いったいどんな人やろう・・・
恐々社長室を訪ねたら・・開口一番
「年取るのはイヤやね・・・歯ぁが弱くなってモノ言うのおっくうになる」
怖そうな、いかつ~いオッサンと思ってた自分のイメージが
ガラガラ・・・と崩れていった。
自分は番組の中身を説明した。
タレント長原成樹のキャラクター、ローカル番組だけどコンセプトは
大きいですとか、まぁ半分ぐらい吹いてたけど、
とにかく熱くなって話をした。
すると富田社長は、こんどデビューする完全オリジナルの
スポーツカーの話をしてくれた。
トミーカイラZZの事だ。
その時の写真はまだテストベッドだった。雑誌にもまだ載せてない
写真だと話していた。
そのスポーツカーの話で、富田社長の話と、クルマへの「夢」を
成樹君と語ってもらえませんかという話になった。
こうなったら社長が出てくれたら、クルマの走行シーンなんかええわいとも
思っていた。
後にさすがにクルマの番組で写真だけで実車が出ないのはアカンでしょうとディレクターに言われ、
そしたら・・という事で、スバルにお願いしてM20bという、
インプレッサベースのコンプリートカーを貸してもらった。
段取りも打合せも進みやがて新年が明け、成樹君のスケジュールも
調整できて、1月20日にロケが決まった。
95年1月20日。大震災の3日後である。
あの1.17の衝撃も覚めやらぬままに、ロケは中止にするかどうか、ギリギリまで悩んだ。
幸いにもスタッフも関係各位も被災しておらず、
1月20日早朝、成樹君を乗せて高雄パークウェイの入り口へ行った。
実はその時、自分も成樹君も高熱が出てフラフラだった。
それでもなんとか2本撮り終わって、ついでにM20bを思う存分
ブッ飛ばし、午後の富田社長との対談になった。
この放送回のテープは今でも自分の記念として残している。
自分は大震災が半ばキッカケとなって、この数年後会社を辞めるのだが、
以後富田社長とは色々とお世話になった。成樹君企画のカートレースでは東京の大手カー雑誌の編集長を紹介してもらい、大々的に
扱ってもらったし、童夢の奥専務や元レーザーの松本恵二さんも
紹介してもらった。自分のようなちっぽけな人間にも、
ちゃんと対応して頂いた、尊敬すべき事業家だったのである。
そういえばトミーカイラZZは東京で大々的なレセプションをやった。自分も有難いことにその会に
呼んで頂いた。ゲストには今でもクルマ業界の偉大なる面々、
童夢の林ミノル、デザイナーの由良拓也、トムスの舘社長といった、大物が揃っていた。
自分はそれだけでも、何故かウキウキしたものだ・・・。
トミーカイラはその後色々な変遷を経て結局倒産してしまったそうだ。当時50歳を過ぎていた富田さんだったが、
最近またまた復活されたそうで、少しうれしくなった。
http://ajp.cocolog-nifty.com/tommyzz/
バイタリティー溢れる活動は当時より若返っておられるかも知れない。
もうなかなかお会いするチャンスはないけれど、いつか再会できたら、また夢のある話でもりあがりたいものだ・・・