
久々にお仕事のハナシ。
とても久しぶりに、ヨシモトのお仕事の声がかかった。
11/29NGK 25歳と364日~ベイブルースよ、伝説に。~
のイヴェントVTRだ。
オープニング、中VTR コントネタ、エンディングの4本。
昨日完成し、納品した。
ベイブルース。
河本栄得・高山知浩のコンビだった二人は、
二丁目劇場の後半、90年代初頭を若手お笑い界の先頭に立つ
漫才コンビだった。
ちょうど前の会社で広告の部署に異動した直後で、
ラジオの仕事を和泉 修としていた僕は
彼から「今イチバン面白くて勢いのある若手はベイブルースやなぁ」
と聞かされていた。
当時うめだ花月で上演していた、修プロデュースの「うめだバラエティ」でも、その姿を見ることができた。
イベントかなんかあったら、来てもらおうと考えていた矢先の
1994年10月、ボケ担当の河本君が、劇症肝炎という病気で
亡くなった。
以後、高山君は「ベイブルース高山」と名乗り芸能活動を続け、
やがて「キンバラジロー」と名を変えたうめだバラエティで、
初めて彼と言葉を交わした。
二丁目時代に一世を風靡した彼は穏やかで、だけどどこか影のある、
そんな印象だった。
舞台上では弾けて、普段はもの静かで思慮深いというか、
やはり相方を亡くしたのが、今でも影響してるのかと、思った。
当時は僕もコントを書いてたが、舞台でのお付き合いしかなかったので、高山君の事は正直あまり知らなかった。
今に至ったのは、やはり修とコンビを組んだ時からだろう。
営業で三重県に向かう近鉄特急の車内だった。
高山君がおもむろに
「修さんとコンビを組むことになりました。
これからよろしくお願いします。」
そこから、ケツカッチンという漫才コンビの高山君が
始まった。
彼はそれでもやはり思慮深く、
お笑いに対してはとても真摯で、
仕事も丁寧な人だ。
しかし、酒グセは相当悪い(笑)。
でも憎めない存在の高山君。
僕の結婚式にも二人で来てくれて、一番気に入ってるネタを
やってくれた。
読んだら絶対泣くからといって、ヨメの両親への手紙を
代わりに読んでくれた。
そんな高山君の依頼で作ったベイブルースのイベント。
実は自分が、ベイブルースの事をほとんど知らずにいた事に
今頃になって気付いたのだった。
ビデオを作るにあたり、同時に彼が書いた本を買って、読んだ。
二人の高校での出会いに始まり、
コンビ結成への道のり、
そして河本君の最期の事や、
病気と分かった時から永遠の別れまでの高山君の心理を
とても丁寧に読みやすく書いていた。
おかげでものすごいインスピレーションが湧いて、
一気に編集が進んだ。
29日のNGK、チケットは完売らしい。
お客さんはどう感じてくれるだろう。
河本君の15回忌を迎え、これがベイブルースの最後のイベントになるのだそうだ。
25歳と364日で人生の時計を止めた河本君。
ファンの人も、あの時止めてしまった時計を動かすために来るのだろう。
そんな人たちに、思い浮かぶ情景を詰め込んだつもりなのだが・・・。